聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2023]

2023年 08月 15日 (火)

ヨブ記41:1-34(11)
みな、わたしのものだ

神さまのヨブへの語りかけが続きます。ここでは、レビヤタンについて話されます。レビヤタンについては、「高いものすべてを見下ろし、誇り高い獣すべての王である」と34節にありますが、実際にはどのような生き物なのか、解釈が分かれるところです。巨大なワニ、鯨、海の恐竜など、様々な見解があります。いずれにせよ、威容を誇る見事な生き物であり、人間は、それを見ただけで圧倒され、立ち向かうことが出来ません(9)。神に反逆するサタン的な存在を象徴していると考えられます。

しかし、そんなサタン的な勢力でさえ、主の御手の下にあります。天の下にあるものはみな、主のものです(11)。神さまは、この見事で力強いレビヤタンに言及することで、ヨブが自分自身の不信仰について考えるように助けられました。神さまは、人を圧倒し恐れさせるサタン的な存在さえもがご自分の権威と力の下にあることを示すことで、「それでも本当にあなたのほうがわたしに優るのか」と彼の自己義認を問い正したのです。ヨブは、以前、自分のための仲裁者を求めました(9:33)。そして、神様にとりなしてくださる方が天にはおられると信じるようになりました(16:19,21)。自分を贖う方は生きておられるとも確信しました(19:25)。しかし、その方の仲裁と贖いを受け取るためには、自分を神よりも優れたものだと考えることを、悔い改めなければなりません。自分を義と見なすということは、そもそも贖いを必要としていないと宣言しているようなものです。ヨブから何百年も後の時代に、ヨブの求めた仲裁者が実際に来られました。その方が、イエス・キリスト。イエス様は、正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来られました。(マタイ9:13)



祈り:主よ、私の心に自己義認的な考えがあったことを悔い改めます。私が完全な罪人であることを認めます。イエス様が私を罪から救うために来てくださり、神様の子供にしてくださったことを、心から感謝致します。

一言:すべては主のもの、私も主のもの


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