聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2016]

2016年 03月 04日 (金)

詩篇37:1-22
主の前に静まり

 悪者たちが成功し、順調である時、妬んでしまいがちです。しかし、彼らは草のようにしおれ、枯れてしまいます。私たちは主に信頼し、善を行なわなければなりません。神様が報いてくださることを信じているからです。神様を喜び、行く道を神様にゆだねるべきです。その時、神様が私たちの心の願いをかなえてくださり、公義によってさばいてくださいます。主の前に静まり、耐え忍んで主を待たなければなりません。怒りを捨てて、神様だけを待ち望むべきです。いくら悪者が義人に向かって歯ぎしりをしても、神様が彼らをさげしまれ、さばかれます。悪者が剣を抜いて、弓を張っても、彼らの剣はおのれの心臓を貫きます。義人の数は少なくても、神様がつかんでくださるので、後には、悪者より豊かになります。悪者たちは神様にさばかれて、力が使えなくなります。結局は、神様に祝福された者が地を所有し、神様に呪われた者が滅びます。神様の祝福を体験するためには、耐え忍び、待ち望まなければなりません。人々を相手に、血と肉の争いをする必要がありません。主を仰ぎ見て、静かに祈る時、決定的な瞬間に、神様が手を広げ、義人の側に立ってくださいます。ダビデは、悪者の攻撃のために、身におぼえのない苦難を多く受けました。しかし、彼は謀略を用いませんでした。全てのことを神様にゆだねました。王の席にも座らずに、真っ先に、静かに祈りました。その時、敵は同士討ちをし、倒れてしまいました(Ⅱサム17,18章)。時になると、神様はダビデを高くしてくださいました(Ⅱサム19章)。悪者の繁栄は絶たれますが、義人は約束の地に、永遠に住むようになります。その日を待ち望み、善を行なわなければなりません。神様は、必ず、義人の行ないに対して、祝福してくださいます。

適用:悪者が成功することが羨ましいと思いますか。

一言:主の導きを信じ、待とう



2016年 03月 05日 (土)

詩篇37:23-40
主を待ち望め

 信仰によって生きる義人も、つまずくことがあります。しかし、いくら倒れても、滅びることはありません。神様が、摂理の中で、私たちの道を定められ、ささえてくださるからです。私たちが生きて行く世の中に、障害物とわながどれだけ多くあるのでしょうか。私たちだけの力では、倒れ、滅びるしかありません。しかし、神様が、正しい右手でかたく支えてくださるので、安心して、信仰の道を歩んで行くことができます。ほかの人々に恵みを施し、情け深く人に貸す人は、その子孫が祝福を得ます。分け与えれば、乏しくなるように思えますが、神様が満たしてくださるので、豊かになり、地を受け継ぎます。世の中で、いくら悪者たちが利己的に生きても、私たちは恵みを施し、情け深く貸さなければなりません。悪から離れ、善を行なわなければなりません。悪に負けずに、善によって悪に勝たなければなりません(ロマ12:21)。時になると、神様が報いてくださいます。
 義人は、その心に神様の法があるので、正義を話します。それで、つまずきません。たとえ、悪者たちが義人を殺そうと待ち伏せをしても、神様が放ってはおかれません。神様は、ずる賢いアヒトフェルのはかりごとを退けられました(Ⅱサム17:14,23)。ダビデを殺そうとする彼のはかりごとは優れていましたが、神様が止めると、成功しませんでした。私たちは主を仰ぎ見て、主の道を守らなければなりません。たとえ、理解してくれる人がなく、多くの苦労をしても、神様を仰ぎ見て、正道を歩むことが、最も知恵深いものです。悪者の勢力が一時期、生い茂る木のように強く見えても、後には滅んでしまいます。義人とその子孫は祝福されますが、悪者とその子孫は、たち滅ぼされます。神様は義人を救い、苦難の時には、彼らの要塞になってくださいます。

適用:不法なこの時代に、どのように生きれば良いのか

一言:神様の教えに従って


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