聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2016]

2016年 06月 01日 (水)

詩篇88:1-18
主に向かって両手を差し伸ばしています

 私たちも詩人のように大変な時代を暮らしています。困難が絶えません。このような私たちに救いの神様、私たちの祈りに耳を傾けてくださる神様がおられることはどれほど感謝すべきことでしょう。困難な問題を持って主の御前に出て行き、叫び求めましょう。主に向かって私の両手を差し伸ばしましょう(9)。すべての重荷を主にゆだねましょう。クリスチャンだけの驚くべき特権を使いましょう。主は私の叫びに耳を傾けてくださいます。
 詩人は主が奇しいわざを行う方、慈しみ深い義なる方であることを知っていました。彼は自分が死んで滅びる前に主が救ってくださるように祈ります。主がほめたたえられ、その恵みが宣べられるように祈ります(10-12)。しかし、主を捜し求めているのにもかかわらず、主は御顔を隠し、詩人のたましいが捨てられたような状況が続いています。彼の心は乱れています。それでも、彼の祈りは主のところに届くという信仰を持っています(13)。私たちが主を捜し求める時、詩人のような状況が長く続く時があります。それでも、詩人のように主の御前で真実に求め続けなければなりません。

適用: あなたは困難の中にいますか。

一言: 主に向かって両手を差し伸ばしましょう。



2016年 06月 02日 (木)

詩篇89:1-18
主の恵みを、とこしえに歌います

 主は多くの民族と人々の中で、ダビデとダビデの子孫を選ばれました。ダビデの子孫をとこしえに堅く立て、彼の王座を代々限りなく立てるという契約を結ばれました(3)。この契約はダビデの子孫として来られるイエス・キリストと彼の子供である私たちに受け継がれました。私たちはダビデの契約の中にいます。ダビデの子孫をとこしえに堅く立てると契約を結ばれた主が力強い方であることはどれほど良いことでしょうか。恵み深く、真実な方であることは私たちにとってどれほど幸いなことでしょうか。私たち自身は真実な者ではありません。強くもありません。もし私たちの主が真実でなかったら、どうなるでしょうか。いつ取り消されるかわからない契約のために、不安と恐れで悩むしかないでしょう。しかし、私たちの主は恵み深い方です。いつも変わらない真実な方です。ですから、私たちはこの方の中で平安と望みを持って生きることができます。恵み深く、真実な主をほめたたえます。
 主の民の、真の力と角、盾と栄光は何でしょうか。主が彼らの力の光栄であり、盾であることです。この主に頼り、主の御顔の光の中を歩む者は幸いです(15)。その人は主の御顔の光の中を歩み、闇を退け、世の光として生きるでしょう。主はその人を高く上げられます(16)。

適用: あなたは誰に頼っていますか。

一言: 恵み深く、真実な主に頼ります。



2016年 06月 03日 (金)

詩篇89:19-52
わたしの真実を偽らない

 もしダビデと違って、彼の子孫が主のおしえを捨て、戒めを守らなければどうなるでしょう。主は杖をもって、彼らのそむきの罪を、むちをもって、彼らの咎を罰します。 主は、選ばれた民が主の御言葉から離れて暮すことをそのまま放ったらかしておきません。その民を愛するから、その民を選んだから、永遠に堅く立てられると約束したからこそ、むち打ってでも罪から離れさせ、帰って来るようになさいます。
 主の民が、主の戒めを守らなかったので、主がその民を懲らしめた場合、主の契約は破られたことになるでしょうか。主は人間の罪と反逆にもかかわらず、恵みを彼らからもぎ取られません。真実を偽りません。主の聖によって誓った契約を必ず守られます。現在、主の民の状況は惨めです。イスラエルの罪のため主は激しく怒っておられます。主の民は羞恥を受け、奪い取られています。詩人は主の契約を覚えてその契約に基づいて祈っています。彼は、神様が激しく怒っておらても、いつまでも変わらない神様であるゆえに、契約が破られたり、捨てられることはないと確信しています。それで彼は祈ることができます。ご自分の子供に対する変わらない神様の恵みと真実、契約を、私たちは信じなければなりません。詩人のように主の契約に頼って主の御前に出て行き祈らなければなりません。

適用: 私は真実ではありません。

一言: 主は真実です



2016年 06月 04日 (土)

詩篇90:1-17
自分の日を数えることを教えてください

 主は地と世界が生み出される前から、すなわちとこしえからとこしえまでおられる方です。しかし私たちの人生は、しばらくすると眠りにおちます。朝は、花を咲かせているが、夕べには、しおれて枯れる草のような人生です。他人より少しでも長く生きることを誇っても、それは結局、労苦とわざわいを意味するだけです(10)。ところで私たちは、まるで自分が永遠に老けることなく、若さを維持するだろうと思ってしまいます。まるで永遠に生きられるように、人生の終りを数えないで暮しています。そしてその短い人生の間、罪を犯して主を怒らせながら時間を浪費します。詩人は「私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください」と祈ります(12)。私たちの日が短く、人生がはかなくて有限である事実を意識する時、永遠の存在を探す知恵の心を持つようになります。そして、永遠の神様に出会えます。永遠の命の価値と意味を探すようになり、永遠の神様からその答えを得るようになります。私たちの日を数えながら生きる時、謙遜に神様を恐れ敬うようになります。自分の短い人生を惜しんで意味ある人生を送るようになります。人生の虚しさと罪に陥ることなく賢く生きるようになります。

適用: 自分の日を数えていますか。

一言: 砂時計のような人生



2016年 06月 05日 (日)

詩篇91:1-16
その翼の下に身を避ける

 しかし、いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿ります。主に「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と申し上げる人は違います。彼は世の中にあるものが彼の避け所になれないことがよく分かります。ただ主だけが自分の避け所であり、とりでであることを信じて頼ります。彼は主を愛し、主の名を知っています(14, 15)。主は彼をわなと恐ろしい疫病から救い出されます。主は、ご自分の羽で、彼をおおわれます。彼は、その翼の下に身を避けます(4)。すぐ側で千人、万人が倒れても恐れないのは、主の許しがなければその災いが近づかないと知っているからです。主が御使いたちに命じて、すべての道で、守ってくださるからです。彼は獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじることができます。主はその人を高く上げてくださいます。私を守り、助けてくださる主に頼りましょう。

適用: 全能者の翼の下に身を避けていますか。

一言: 誰が私に敵対できるでしょうか。



2016年 06月 06日 (月)

詩篇92:1-15
正しい者は、なつめやしの木のように栄え


適用: あなたは主の家に植えられた木でしょうか。

一言: 栄え、育ちます。



2016年 06月 07日 (火)

詩篇93:1-5
主の力は力強い波にもまさる

 夢を見なければならない大学生に夢がありません。人々は食べて生きるのに精一杯です。いったいどうすれば幸せに生きることができるのでしょうか。主の力は大水のとどろきにまさり、海の力強い波にもまさっています(4)。主が「静まれ」と命じれば大水のとどろきや海の力強い波も穏やかになります。人は主の御前で謙遜でなければなりません。人の能力と努力を誇ってはなりません。主を信じて主に従わなければなりません。
 主が治めておられます(1)。主は創造主としての権威と力を持っておられます。 主によって世界は堅く建てられます。主が助ける時、搖らぐことはありません。 今も主は宇宙万物を摂理の中で治めておられます。人の歩みを確かなものにします。それによって私たちは安心して暮しています。主が神の国を建てておられます。

適用: 力強い波を恐れていますか。

一言: 主の力



2016年 06月 08日 (水)

詩篇94:1-23
復讐の神

 第二、神様の民をささえてくださいます(18)。時々神様の民も戒められ、主のみおしえを教えられる時があります。しかしこれはむしろ祝福です(12)。これは患難の日を避けられるように民を助ける神様の愛の御手です。悪者を裁かれ、主の民に平安をくださるためです(13)。主はご自分の民を、お見捨てになりません(14)。彼らが心の直ぐな人達だからです(15)。時々霊的に落ち込む時もあります(17)。しかし、神様が彼らの助けとなって、霊的な落ち込みから抜け出せるようにしてくださいます。時々神様の民も咎と罪を犯す時があります(18)。そんな時にも、主は恵みによって支えてくださいます。主が支えてくだされば倒れなくなり、倒れてもまた起き上がることができます。時々思い煩いが増す時があります(19)。主は慰めてくださいます。それで私のたましいを喜ばしてくださいます。復讐する神様は悪者にはその悪を罰する方ですが、神様の民にはとりでとなり、避け所の岩となられます(22)。神様は彼らを守り、休みと力を与えてくださる方です。

適用: 悪者はいつまでも勝ち誇れるでしょうか。

一言: 復讐する神様



2016年 06月 09日 (木)

詩篇95:1-11
救いの岩に向かって、喜び叫ぼう

 第一、主が救いの岩であるからです(1)。救いの岩と言うのは信じることができる、頼ることができる救いを言います。主は、いつでもどんな時でも、どこでも私たちを救ってくださいます。私たちは救いの岩の上に人生を立てます。だから私たちは救いの岩である主に感謝して、喜び歌います。
 第二、主は大いなる神様であるからです(3)。地の深み、山々の頂も主の御手のうちにあります(4)。海も、陸地も主の御手が造られました(5)。私たちの人生はその方の主権と摂理の中にあります。だから私たちは主の御前に、ひざまずきます(6)。主に向かって、喜び叫びます。
 第三、主は私たちの神様であり、私たちは、その牧場の羊であるからです(7)。主は私の神様、すなわち私の牧者です。主の御手が私たちの面倒を見ます。私たちを導きます。保護します。それで私たちは彼の御声を聞きます。感謝を持って歌います。

適用: 主が私の牧者であり、救いの岩であることを信じますか。

一言: 喜び叫ぼう。



2016年 06月 10日 (金)

詩篇96:1-13
新しい歌を主に歌え

 私たちが新しい歌で歌う神様は、天地を造られた創造主です(5)。尊厳と威光は御前にあり、力と栄光は主の聖所にあります(6)。私たちはいつも新しい心でその方の御前に立たなければなりません。栄光と力をその方にささげ、主の御名の栄光をその方にささげ、ささげ物を携えて、主の大庭に入り、聖なる飾り物を着けて、主に礼拝しなければなりません(7-9)。主は私を救ってくださった栄光の神様です。今も咎と罪から救ってくださる恵みの神様です。卑しい私を尊い神様の子供としてくださった美しい神様です。弱い私を険しい世の中でも力強く生きるように助けてくださる力ある神様です。この方を思う時、嬉しくて楽しくなります。新しい歌を歌うことができます。美しくて聖なるものを持って神様を礼拝することができます。

適用: 毎日主に会っていますか。

一言: 新しい歌を



2016年 06月 11日 (土)

詩篇97:1-12
主は、王だ

 「主は、王だ。」と宣言しています。それは全世界を主が治めておられるということです。主はどのような王なのでしょうか。第一に、聖なる王であられます。主は雲と暗やみに取り囲まれていて罪人は近づけません。第二に、義と公平の王であられます。天が主の義を告げ、すべての国々の民はその栄光を見ます。第三に、恐ろしいさばき主であられます。主は、ご自分の統治を拒むすべての悪の勢力を焼き尽くします。
  この世を見ると、不義の統治者たちのせいで多くの人が苦しみを受けています。近くの北朝鮮の国民は耐え難い苦しみを受けています。全世界で、数多くの人が悪霊に縛られ、苦しみ、悩んでいます。このような世の中で、真の希望は、神様の統治が臨まれることにあります。神様が治められるとき、世界の国々の人々は、苦しみから救われて自由を得るようになります。聖なるお方、イエス・キリストが王として治められる所にこそ、本物の喜びはあります。政治的な束縛の中で苦しんでいる民たちに、主の統治が臨まれますように祈ります。主ご自身が罪とサタンの支配下に置かれている人々を治めてくださるように祈ります。
 神様の統治を受けない人々は、空しい偶像崇拝者になってしまいます。彼らは終わりの日、さばきの日に辱められますが、神様を愛する人々は、その日に喜びます。ですから、私たちはいつも聖さの中にとどまっている必要があります。主を畏れかしこみながら生活するのです。神様を愛する人は悪を遠ざけ、憎みます。神様は彼らのために光を蒔かれ、喜びを与えてくださいます。それで神様を王として生きる人はいつも喜び、感謝することができます。神様を愛するなら幸せになります。

適用:主の統治を受けていますか。

一言:光と喜びが蒔かれる。



2016年 06月 12日 (日)

詩篇98:1-9
大声で叫び、ほめ歌を歌え

 詩人は、全地が主に向かってほめ歌を歌うように呼びかけています。私達はどのように神様に賛美を捧げるべきでしょうか? まず第一に、喜び叫びながらほめ歌を歌うべきです。私達には神様からいただいた声があります。神様を賛美する時、惜しみなく声高らかにほめ歌を歌うべきです。 第二に、色んな楽器に合わせて主にほめ歌を歌うべきです。ギターをひきながら歌い、ラッパを吹きながら神様の御前で喜びの声をあげるべきです。楽器の演奏が出来なければ手を打ち鳴らして主の御前で喜び歌うべきです。賛美は救われた民の祝祭であり、喜びの宴会です。ですから、出来る限りのすべての音を立てて神様を賛美すべきです。神様は世の全ての被造物から賛美されるべきお方、主であられます。自然界も神様に手を打ち鳴らして歌います。神様は私達から賛美される事を願われます。私達は、主が義を持って世界を裁くために来られるその日まで、休みなく主を褒め称えるべきです。

適用:神様をどのように賛美していますか?

一言:声高らかに喜んで



2016年 06月 13日 (月)

詩篇99:1-9
我らの神、主をあがめよ

 神様はイスラエルの歴史の中で大事な時ごとにモーセとアロン、またサムエルのような仲介者達を送って下さいました。神様は彼らを通して聖なる御言葉を与えてくださいました。イスラエルが罪を犯して、望み得ない状態になった時にも、仲介者達のとりなしの祈りを聞かれ、彼らを赦し、回復させてくださいました。神様は更に、ご自分のひとり子をこの世に送って下さいました。イエス・キリストは神様が私のために送って下さった完全な仲介者です。イエス様は永遠なる神様の御言葉であり(ヨ1:14)、私の罪を赦すために身代わりとなって死んで下さった贖い主です。また、イエス様は神様の聖なる宮です。私たちはイエス・キリストにあって神様に出会い、礼拝が出来ます。神様を礼拝する人生は選ばれた民だけが享受出来る霊的な特権であり、祝福です。.

適用:神様の民となられましたか?

一言: 大いなる王を高め、礼拝せよ



2016年 06月 14日 (火)

詩篇100:1-5
感謝しつつ主の門に入り

 では私たちは神様の家にどういう心で入るべきでしょうか?感謝しつつ主の門に入り、賛美しつつその大庭に入るべきです。感謝は神様から頂いた恵みに対する私たちのありがたい心を表現することです。“神様、私を創って下さってありがとうございます.”“イエス様、私の良き牧者となってくださってありがとうございます。”感謝は神様を喜ばせる礼拝です。人間のすべての罪は感謝しないところから来ています(ローマ1:21)。神様は善であり、その愛は永遠です。神様は約束された通りにキリストを送って下さいました。イエス様を通して、繰り返し犯した私たちの罪を赦して下さり、聖なる民として回復してくださいました。神様に感謝する時、主の恵みが私たちの内側でもっと深まります。感謝する人を通して、神様の恵みが全世界に宣布されます。

適用:どういう心で神様の御前に出て行きますか?

一言:感謝と賛美によって



2016年 06月 15日 (水)

詩篇101:1-8
全き道に心を留めます

 ダビデは朝ごとに世の悪者を滅ぼそうとしました。彼はなぜそれほど激しく悪と戦うのでしょうか?それは、神様の家に悪が住みえないようにするためでした。悪は本質的に神様の主権に逆らいます。悪を容認する時、神様の御心を成し遂げる管理者にはなれません。悪者を容認する時、神様の民に仕える指導者にはなれません。私達が神様の羊の群れに仕える指導者になるためには、悪と熾烈な戦いをしなければなりません。私達を牧者として立てられた主の御心を考えるなら、全き道に歩むために心を定め、罪と戦うべきです。

適用:霊的な指導者の務めを良く担っていますか?

一言:悪と戦いなさい



2016年 06月 16日 (木)

詩篇102:1-28
主は変わることがなく

 苦難に会い悲しみと苦しみの中にいる時どうすればいいでしょうか?私の憂いを主の御前に注ぎ出すべきです。永遠なる主を見上げるべきです。その時私達は信仰と望みを持つことが出来ます。今日壊れて行く教会の姿と難しくなって行く福音の御業のために私達は憂い、嘆きます。しかし、主は永遠に生きておられます。主の栄光と名声は代々限りなく続きます。時になると神様がシオンを回復させ、主の栄光をを宣布させ、すべての民族が神様に仕えるようにされます。私達はこの望みを仰ぎ見るべきです。

適用:苦難の中で心が痛むときどうしますか?

一言:主に心を注ぎ出して仰ぎ見ましょう



2016年 06月 17日 (金)

詩篇103:1-22
わが魂よ、主を褒め称えよ

 神様がよくしてくださった具体的な恵みは何ですか?神様は私達のすべての罪を赦してくださいました。私達のすべての病を癒してくださいました。私達の命を破滅の穴から贖い出してくださいました。私達の一生に、恵みと哀れみの冠をかぶらせて下さいました。私達の存在を、王である祭司として貴くあげて下さいました。私たちは足りなく咎多いものですが、神様は私達をこの時代の救いの御業に、キャンパスの救いの御業に牧者として宣教師として、使命人として尊く用いてくださいました。
 また、神様は良いもので私達の魂の望みを満ち足りるようにしてくださいました。私達は世の物質や快楽によって魂を満たそうとし、むしろ病にかかり、ひどく渇いて苦しむしかありませんでした。神様はそんな私達の魂を、聖なる御霊と恵みの御言葉によって満ち足らせてくだいました。私達の青春を鷲のように新しくされました。青春は、年齢と関係ありません。良いもので望みを満足させないと、霊的にも肉的にもすぐ老けてしまい衰えていくしかありません。しかし、良いもので私達の魂を満たすとき、年と関係なく鷲のように上り、青年ののように生きることが出来ます。今日まで主が施してくださったすべての恵みをことごとく覚えて神様を賛美し、主に栄光を帰しましょう。

適用:神様が施して下さった恵みはとれ程豊かですか?

一言:主を褒め称えよ



2016年 06月 18日 (土)

詩篇104:1-35
主よ。あなたの御業は何と多いことでしょう

 詩人は自然万物の中にある満ち満ちた創造主なる神様の力と知恵とに感嘆しています。“主よ、あなたの御業は何と多いことでしょう。あなたはそれらをみな、知恵を持って造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています。” 広大な海は、大小の数多くの生き物で満ちています。彼らが時になって死ねば神様は新しい命を造られ地面を新しくされます。詩人は命のある限り、この創造主なる神様にほめ歌を歌うと言っています。 宇宙万物を造られた神様は、まことに偉大な方、創造主です。被造物の世界には創造主なる神様の偉大な力と知恵が満ち満ちています。天と地にあるすべてのものは神様の栄光を現し、ほめ歌を歌っています。尊厳と威光を身にまとっておられる神様だけがすべての栄光と尊厳を受けるのにふさわしいお方です。 私達も創造主である神様を黙想して、その偉大さを褒め称えましょう。

適用:主がなさった御業を探ってみましょう

一言:何と多いことでしょう!



2016年 08月 03日 (水)

詩篇105:1-23
主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる

 では、主がなされた 奇しい御わざとは、 具体的には何でしょうか。主である神は、アブラハムと契約を結び、「わたしはあなたがたの相続地としてあなたに、カナンの地を与える。」とおっしゃいました。そして、その契約をとこしえに覚えておられ、イサクへの誓い、ヤコブのためのおきてとして立てられ、あらゆる御力と奇しい御わざをもって、千代にも及ぶようにしてくださっています。しかし、カナンの地を与えると言われたその契約は、実際にはとても実現不可能に見えました。カナンには昔から住み着いていた他の民族がおり、彼らは強く豊かでした。それに対し、イスラエルの数は少なく、 寄留する外国人でしかありませんでした。しかし、主である神は、王たちを責め、イスラエルに触れることも、危害を加えることも許されませんでした。 結んだ契約を永遠に覚えておられる主が、徹底的に保護されました。
 奴隷として売られ、鉄のかせの中に入ったヨセフは、主のことばによって試されました。しかし、時になると、ヨセフは解放され、国々の民の支配者が彼を自由にしました。王はヨセフを自分の家のかしらとし、自分の全財産の支配者としました。そして、ききんによってイスラエル(ヤコブ)もカナンの地を離れるようになり、エジプトに行きました。ヨセフが先にエジプトに行ったことも、ヤコブがエジプトに行ったことも、自ら決めたことではありません。やむを得ない状況からであり、それによって、主との約束がますます遠のいてしまったように見えました。しかしそれは、ご自分の民に置かれたご計画を成し遂げられるため、また主の御言葉の実現のためのプロセスでしかありませんでした。
 主である神は、私たちと結んでくださった契約と約束の御言葉を永遠に覚えておられ、それを実現させるために、あらゆることを用いられます。そのために、一人一人を動かし、時には王たちやききんといったものさえも用いられます。 また、私たちが願っていないところに私たちを導いたり、ききんのような厳しい災難を通して私たちを動かしたりする時もあります。しかし私たちは、この世と、自分の人生を、神様の約束という視点から見なければなりません。

適用:ご自分の契約をとこしえに覚えておられる主を信じますか。

一言:主に感謝して



2016年 08月 04日 (木)

詩篇105:24-45
彼らを満ち足らわせた

 主はイスラエルを救い出し、カナンの地へ導くために、そのしもべモーセとアロンを遣わされました。神様がイスラエルを連れ出そうとする際に、エジプトは妨げようとしてきましたが、主は災いをもって、エジプトを懲らしめました。やがて、彼らの国の初子をことごとく打たれ、彼らを膝まずかせました。イスラエルは、いのちからがら逃げたのでは、ありません。主が銀と金とを持たせて御民を連れ出しました。主は奴隷としての労苦を補償してくださり、これからの荒野生活における経済的な面も助けてくださいました。主はその御民の苦しみを忘れず、報いてくださる方です。
 主はご自身が連れ出した御民を繊細に助け、必要なものを満たしてくださいました。昼には、雲を広げて仕切りの幕とし、夜には火を与えて照らされました。民が願い求めると、主はうずらをもたらし、また、天からのパンで彼らを満ち足らわせました。主が岩を開かれると、水がほとばしり出ました。水は砂漠を川となって流れました。主は、国々の民の労苦の実を、国々の地を、彼らの所有とさせ、彼らに与えられました。
 これらすべては、主がそのしもべアブラハムと結んでくださった聖なることばを覚えておられたからです。カナンの地を与えると契約を結んでくださった聖なることばが成就されました。不可能のようにみえたアブラハムとの契約が成就されたのです。主はこのために、ご計画をもって、さまざまなことを用いられ、働いておられました。主は今もなお、ご自分の約束の御言葉を成就させるために、またご自分の計画を成し遂げられるために、繊細に働いておられます。

適用:心配していますか。恐れていますか。

一言:主が覚えておられ、働いておられます。



2016年 08月 05日 (金)

詩篇106:1-33
まことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

 主はイスラエルのために、エジプトで、奇しいわざを行なわれました。葦の海を叱ると、海は干し上がり、イスラエルは深みの海の底を、荒野を歩くようにして、渡りました。イスラエルを憎む者たちを、一人残さず滅ぼされました。主は彼らが願うことをすべて与えられました。それにもかかわらず、彼らはすぐに、その奇しい御わざを忘れ、荒野で激しい欲望にかられ、主である神を試みました(7,14)。主が立てられたモーセをねたみ、アロンをねたみ、子牛を造り、鋳物の像を拝んだのです。主が与えてくださった喜びの地を感謝せず、むしろ自分たちの天幕でつぶやくばかりしました。それは彼らが過去にエジプトで体験した奇しいわざを悟らず(7)、大いなることをなさった救い主を忘れたからです(21,22)。また、主である神のみことばを信じなかったからです(24)。それゆえ、彼らはいつも新たな苦しみに直面する度に、主に逆らい、試し、恨むことを繰り返しました。彼らは主の奇しいわざを通して悟り、主が主であることを知るべきでした。苦しみが目の前にあっても、大いなることをなさる救い主を覚え、主を認めるべきです。主のみことばを信じ、聞き従うとき、主は、ご自分の御民を必ず救ってくださいます。大いなる御わざをなさってくださいます。
 イスラエルの反逆、欲望、不満と偶像崇拝の行いは、主の御怒りを引き起こしました。それでも、主は彼らを完全に滅ぼすことはされませんでした。それは、 主なる神がいつくしみ深い方であり、その恵みはとこしえまでも絶えることがないからです。そのいつくしみ深い主が、代々永遠に、彼らを義と認めてくださったからです。私たちの欲望、不満と反逆は、イスラエルの民と何一つ変わりありません。しかし、私たちの主は、今もなおまことにいつくしみ深い方であり、その恵みを代々永遠に与えてくださる方です。その方が私たちの主であることは、どれほど幸いなことでしょうか。私たちの主である神様を心より賛美しましょう。

適用: 罪のために、自分たちの不義の中におぼれていますか。

一言:まことにいつくしみ深い方である主を見上げましょう。



2016年 08月 06日 (土)

詩篇106:34-48
主は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし

 それでも主は、彼らの叫びを聞かれました(44)。 なぜでしょうか。それは、彼らのために、ご自分の契約を思い起こされたからでした(45)。双方で結んだ契約を片方が破ったとき、普通ならその契約は無効となり、破棄されます。自分勝手に契約を破ってしまった相手との契約を守る必要はありません。しかし、主はご自分が言われたことを必ず覚えておられ、どんなことがあっても守られる方です。 主はご自分の言われた契約のみことばを誠実に守られる方なのです。ご自分が創られた人間に、いつも裏切られますが、それでも、主はそのいつくしみ深い恵みとあわれみをいつも与えてくださいます。ご自分の契約を一時も忘れたことのない主は、御子さえ与えるという約束をも誠実に実行されました。いくらご自分の契約だとしても、幾たびとなく裏切ってくる人間に対し、御子を与えるという約束は、守るのが難しかったはずです。しかし、神様はご自分の契約を忘れることなく、豊かな恵みのゆえに、私たちを憐れみ、一人子イエス・キリストを十字架につけられました。私が今の自分となったのは、ただ、主の豊かな恵みとあわれみのゆえです。

適用:私は罪人です。しかし、それでも、見捨てることなく、思い起こしてくださる主に感謝いたします。

一言:豊かな恵みとあわれみの大いなる方



2016年 08月 07日 (日)

詩篇107:1-22
人の子らへの奇しいわざ

 やみと死の陰に座す者もいます(10)。彼らは神のことばに逆らい、いと高き方のさとしを侮ったので、悩みと鉄のかせとに縛られているのです。それゆえ、彼らの心は低くされ、主に向かって叫ぶとき、主は再び彼らを苦悩から救ってくださいます(13)。主は彼らをやみと死の陰から連れ出し、彼らのかせを打ち砕いてくださいます。青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきを粉々に砕かれます(16)。暗やみから連れ出し、光へと導く主のいつくしみ深い恵みと奇しいわざに感謝し、賛美せずにはいられません。
 自分のそむきの罪のために、またその咎のために悩み、健康さえ失う人もいます(17)。罪は体とたましいの両方を滅ぼします。罪と咎のため、たましいはあらゆる食物を忌みきらい、死の門にまで着いてしまいます(18)。しかし、この苦しみのときに、その人が主に向かって叫ぶと、主はその人を苦悩から救ってくださいます(19)。主はみことばでいやし、滅びの穴から助けだしてくださいます。罪を犯した人々に対するいつくしみ深い主の恵みと、悩み病んでいる人生を癒してくださるその奇しいわざに、感謝せずにはいられません(21)。私たちは感謝のいけにえをささげ、喜び叫びながら主のみわざを語るべきです(22)。

適用:神様が私の人生で行われた奇しいわざとは何でしょうか。

一言:主に感謝せよ



2016年 08月 08日 (月)

詩篇107:23-43
変えられる主

 まことにいつくしみ深いだけでなく、人の子らへの奇しいわざを行われる主は、どんな方でしょうか(107:8,15,21,31)。変えられる主であり、ひっくり返す方です。肥沃な地を不毛の地にされます。川を荒野に、水のわき上がる所を潤いのない地にされます。反対に、荒野を水のある沢に、砂漠の地を水のわき上がる所に変えられます。私たちが罪を犯したとき、主は肥沃な地を不毛の地に変え、道なき荒れ地にさまよわせます(34,40)。しかし、主は貧しい者、直ぐな人を悩みから高く上げ、喜びと豊かな実りを得るようにさせます(36,41,42)。
 全てをひっくり返すことのできる主の御前で高ぶってはいけません(40)。主は君主たちをさげすみ、道なき荒れ地に彼らをさまよわせます。ですから、不正な者が豊かになることを羨み、彼らを慕うことはまことに愚かなことです。時には直ぐな人がしいたげとわざわいと悲しみによって、数が減り、またうなだれるときがあります(39)。それでも、私たちが直ぐな人として生きることができるのは、主が変えられる方だからです。変えられる主の中で、大逆転の勝利を期待することができるからです。主は、直ぐな人、信仰による貧しい者を、悩みから高く上げ、その一族を羊の群れのようにされます。また、彼らの良い牧者となり、見守ってくださいます(41)。知恵のある者とは、これらのことに心を留め、主の恵みを悟る者だと、詩人は言っています。変えられることは、不正な者には主の裁きですが(33,34)、直ぐな者には神様の恵みです(35)。主が荒野を水のある沢に、砂漠の地を水のわき上がる所に変えられる時、主の子ら(知恵ある者)は主のいつくしみ深い恵みとその子らへの奇しいわざのゆえに、主を褒めたたえます。

適用:主が荒野を水のある沢に変えられることを待ち望んでいますか。

一言:変えられる主に頼りましょう。



2016年 08月 09日 (火)

詩篇108:1-13
神によって、私たちは力ある働きをします

 いよいよ、詩人は「あなたの愛する者である私たちを助けだ」してくださいと祈ります(6)。主はイスラエルの民だけではなく、モアブ、エドム、ペリシテ等、周辺のあらゆる国々をも導く方です。詩人は、「どうか敵から私たちを助けてください」、と切なる祈りを捧げています(12)。なぜでしょうか。それは、戦は主である神の御手の中にあるからです。主の御手によって、私たちはどんな敵にも勝利することができます。詩人はそれを知り、そして、信じました。だから、神である主によって、私たちは力ある働きをすると言っているのです(13)。主を知らないと、恐れおののいてしまいます。主を信じるとき、喜び勇むことができます。主に頼るとき、どんな敵にも勇敢に挑むことができます。人々は人生を戦に喩えたりします。そして、自分が敗北してしまうのではないかと恐れおののきます。なぜなら、その戦の結果を知らないからです。しかし、主を信じる人々はもうすでに結果を知っています。結果を知っている戦をするのです。その結果は勝利のみです。それを知っているからこそ、状況が不利になったり、力尽きて倒れそうになったりしても、主によって、私たちは立ち上がり、力ある働きをすることができるのです。

適用:敵を恐れていますか。

一言:神である主が私たちの敵を踏みつけられます。



2016年 08月 10日 (水)

詩篇109:1-31
彼らは呪っても主は祝福してください

 ダビデは、呪いと祝福は主の御手にあることが分かっていました(28)。人が呪っても主はそれを祝福に変えてくださいます。むしろ悪者どもに恥をかかせられます。バラクはバラムにイスラエルの民を呪ってもらおうとしましたが、神様は呪いを祝福に変えられました。かえって、呪う側が呪われるようにされました。呪いと祝福は主によるものです。ダビデはそれが分かっていたので、人から憎まれ、呪われても主に大いに感謝し、多くの人々の真ん中で賛美しました(30)。私たちも呪いと祝福は主の御手にあることを信じましょう。不義に賛同しない理由で憎まれ、呪われるとしたら神様はその言葉を止め、なんの害も受けさせません。むしろ憎しみと呪いを発した当の本人に返されます。ですから、傷ついたり腹を立てたりせず、主に感謝し、賛美しましょう。これこそ、この世のしがらみの中で生き抜く信仰の力です。

適用:私を呪う人がいますか

一言:主は私を祝福してくださる



2016年 08月 11日 (木)

詩篇110:1-7
朝露のような主の若者たち

 メシヤは王でもあり祭司でもあります。祭司は民を神様へ導く仲介者です。旧約時代のレビ族の祭司たちは死という限界を持つ人間でした。そのため、神様は神秘的なメルキゼデクの例にならい、イエス様を永遠の祭司として立てられました。イエス様はきよく、悪もなく、天よりも高くされた大祭司で、私たちの救いのためにいつもとりなしをしておられます(ヘブル7:25、26)。ですから、私たちはいかなる罪の中にあろうとも気力を失わず、イエス様の御もとに近づけばいいのです。そうすれば、メシヤなるイエス様が罪の力を打ち砕き、ご自分の民を罪から救い出して下さいます。私たちは弱くとも、イエス様に依り頼む時、必ず勝利が与えられます。

適用:喜んで仕える若者ですか

一言:朝露



2016年 08月 12日 (金)

詩篇111:1-10
主の御業は偉大で

 信仰生活において、しばしば疲れ果て、心が萎えてしまう理由は何ですか。それは、神様が一人一人になされた偉大な御業を思い起こさないからです。神様がなされた御業を思い起こさず、やるべきことだけに追われているからです。信仰生活とは、神様がなされた御業を覚え、感謝し、賛美することです。私たちのすべきことはただ、主を恐れ敬い、御言葉に従って生きることだけです。主は御言葉を愛する者に素晴らしい知恵(明察)を授けられます。不平不満をこぼすのは知恵のない人がやることです。知恵がないので神様が見えません。一方、知恵のある人は苦難に遇っても感謝し、賛美することができます。なぜなら、人生の様々な試練の中で働いておられる神様に出会えるからです。

適用:神様はどんな御業を行われましたか

一言:喜び、主をほめたたえよう。



2016年 08月 13日 (土)

詩篇112:1-10
貧しい人々に惜しみなく分け与え

 欲望をほしいままにして生きる人は悪者です。いつまでも生きながらえると思い、財産を蓄え、欲を満たそうとしますが、結局は欲望と共に滅びうせます。唯一、情け深く、人に貸し、貧しい人々に惜しみなく分け与えた義人だけが永遠に堅く立ちます。人生最後に残るのは「どれだけ蓄えたか」ではなく「どれだけ施したか」です。主の御言葉を愛し、分け与え、仕える人の義は永遠に堅く立ちます。

適用:惜しみなく分け与えていますか

一言:施す人は幸せ



2016年 08月 14日 (日)

詩篇113:1-9
自ら低くなられた主

 第二に、神様は謙遜なお方です。世の王は高い玉座に座り、民の上に君臨します。貧しく弱い人を傷つけたりもします。しかし、神様は謙遜です。貧しい人を軽んじたりしません。ちりあくたのように低い所に降りて来られ、弱い者、貧しい人を起こし、引き上げてくださいます。神様はエジプトの奴隷だったイスラエルを救い出すために自ら低い所に訪ねて来られました。奴隷の民を高貴な祭司の王国とされました。神様は実のない人を見捨てることはありません。むしろ、子を産まない人を子をもって喜ぶ母として家に住まわせられます。イエス様もこの世に来られ、取税人や罪人の友となられました。彼らを世界的な指導者に育て上げられました。私たちは低く卑しい罪人ですが、イエス様によって実を結ぶ民となる希望があります。謙遜な王に仕える私たちはなんと幸いな者でしょう。謙遜な王なるイエス様をとこしえにほめたたえましょう。

適用:低き者ですか

一言:主が引き上げてくださいます



2016年 08月 15日 (月)

詩篇114:1-8
主の御前におののけ

 紅海は神様の御前で驚いて逃げ去り、ヨルダン川は神様の契約の箱の前でさかさに流れました。神様が降りて来られた時、巨大なシナイ山が羊のようにはねました。天地万物が神様の御前で恐れ、従い、喜びはねました。神様がご自分の民を救い出された出来事は全世界が興奮し、喜ぶ恵みの奇跡です。神様は岩を水のある沢に変えられ、堅い石を水の出る泉にならせました。こうして荒野で渇いているご自分の民を飲ませました。神様がご自分の民のためになされた御業は人間の想像をはるかに超えたものです。神様がイエス様を通して私たちを救ったことは驚くばかりの恵みです。天地万物が驚き、おののき、恐れます。私たちは生きている間様々な困難にぶつかりますが、恐れる必要はありません。私たちを救い出された神様が私たちの前で栄光ある御業をなされるからです。

適用:世を恐れていませんか

一言:世に勝った神様



2016年 08月 16日 (火)

詩篇115:1-18
主によって祝福されるように


適用:祝福されたいですか

一言:主に信頼せよ



2016年 10月 01日 (土)

詩篇116:1-117:2
主の御名を呼び求めよう

神様は、死からたましいを救い出してくださいました。涙をぬぐい取ってくださり、つまずかないように守ってくださいました(8)。それで、主の御前を歩き進むことができます。神様からの救いの恵みがあまりにも大きいため、救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めます。主に立てた自分の誓いを主に果たします(13,14)。
イスラエルの民は、神様によって、罪と死のかせから解かれました。神様みずからが、イスラエルの主になってくださいます。この神様の恵みを覚え、感謝のいけにえをささげ、神様の御名を呼び求めるようになります。イスラエルだけではありません。地上のすべての民は、救いの恵みのゆえに賛美します。
「すべての国々よ。主をほめたたえよ。すべての民よ。主をほめ歌え。その恵みは私たちに大きく、主のまことはとこしえに。ハレルヤ。」(117:1,2)。

適用:イエス様の十字架の血によって、罪と死から解放されましたか?

一言:主の御名を呼び求めよう



2016年 10月 02日 (日)

詩篇118:1-29
私の救い、主

主が味方になってくださるので、誰も、それに対抗することはできません(7)。人に頼って身を避けることよりも、神様に頼って出て行くことがより確実なことです。また、その時代の指導者、権力者、コネに頼ることより、神様に頼る方が安心で、確かです。
著者は、すべての国を敵に回したようです。しかし、神様は、彼を守ってくださいます。たとえすべての国々が著者を取り囲み、蜂の大群のように、攻め入っても、主は敵をことごとく打ち破ります。著者は主の幕屋(正しい者の幕屋)の中に留まり、喜び踊ります。この神様の御業を見て、著者は偉大な神様の御業を証します。
神様は、義の門をそなえてくださいます。正しい者はそこから入り、主に感謝します。この門は救いに至る門であり、イエス様ご自身です。神様はまた、イエス様を信仰の礎として、この地にお遣わしになりました。人々は、イエス様を十字架につけて殺しましたが、イエス様は十字架の死と復活によって、信じる者の礎の石になりました。だれでも、主の御名によって来る人には、祝福があります。

適用:主を呼び求めていますか?

一言:必ず主はこたえて下さる



2016年 10月 03日 (月)

詩篇119:1-16
幸いなことよ

どのようにして若い人は自分の道をきよく保てることができるでしょうか(9)。外に出ると、多くの誘惑があります。ラインやインターネットから、テレビから、多くの情報が入ってきますが、中には、主の道から離れるように、と誘惑するものもあります。完全に、情報を断ち切って、生きるのは、辛いことかも知れません。それが、若者の特権であると考える人もいます。
しかし、著者は、主の御言葉に従って、守るようにと勧めています。主の御言葉をしっかりと掴んで、そこから抜け出さないようにと教えています。子どもたちが罪を犯さないようにと、子どもたちに聖書の御言葉を教えました。主の教えは、救いに至る道なので、どんな宝よりも、高価なものです。罪と死から救いを得させてくださるので、喜びとなります。
それで、著者は、主のおきてを喜びとし、主のことばを忘れません。神様は、私たちに聖書の御言葉をくださいました。私たちが聖書を学び、御言葉に従って歩むなら、救いを受け、祝福を受けるようになります。何よりも、真理であるイエス様が私たちの主となります。

適用: あなたは幸いな人ですか?

一言:幸いなことよ。全き道を行く人々



2016年 10月 04日 (火)

詩篇119:17-40
あなたの義によって

それで、彼は祈ります。「主よ。あなたのおきての道を私に教えてください。そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。」彼は、最後まで、主の道を歩むことを望んでいます。そのためには、すべての罪から離れさせ、神様を恐れるようにしてください、と祈っています。神様のさばきは正しいものなので、神様の戒めに従って、歩むことを切に望んでいます。この世がどんな時代であったとしても、イエス様の十字架の愛は決して、変わることがありません。どんな時でも、私たちが真理の御言葉をしっかりと掴んで歩む時、正しい道を行けるようになります。

適用:正しい道を進んでいますか?

一言:主の義によって正しい道を行こう



2016年 10月 05日 (水)

詩篇119:41-64
私の口から、真理のみことばを

著者は、神様の御言葉に従って歩む生活をしていました。それで、主に祈りました。「主よ。あなたの恵みと、あなたの救いとが、みことばのとおりに、私にもたらされますように。」今、彼をそしる者に対して答えられるように、助けてください、と祈り求めています。彼は主の御言葉に頼りました。神様の民に敵対する者に対して、神様がさばいてくださることを待ち望んでいました。
著者が積極的に御言葉に従って歩む生活をした時、それが慰めとなって、生きる力となりました。たとい、高ぶる者たちが、ひどく彼をあざけ笑っても、彼は主の御言葉からそれませんでした。ところが、悪者は、主のみおしえを軽んじました。捨てました。これは、著者にとって、許せないことでした。なぜなら、主のみおしえは、著者にとって、歌になるからです。夜には、神様の御名を思い出して、積極的に守る生活をしていました。彼は、神様の正しいさばきについて、感謝しました。神様を恐れるすべての者と、戒めを守る者と友になりました。この地上は、神様の恵みに満ちていました。このように著者は、私たちが常に希望と正しさを持って生きるためには、神さまのみことばを聞き、信じることが必要だと教えています。そして、ただ心の中で一人静かにそうするのではなく、真理の約束であり、確かなる戒めであることを信じてみことばを口まで持っていき、積極的に口ずさむことです。否定的、批判的、消極的なことばを捨て、真理のみことばを口にするのです。

適用:わたしは、どんなことばを口にしているか?

一言:真理のみことば



2016年 10月 06日 (木)

詩篇119:65-88
あなたのみことばを待ち望んでいます

それゆえに、次のように告白しています。「私のたましいは、あなたの救いを慕って絶え入るばかりです。私はあなたのみことばを待ち望んでいます。」今、著者が受けている苦難、迫害から、守ってくださるようにと神様に祈っています。主を待ち望んでもなかなか救い出されない状態の中にありましたが、それでも著者は、主のみことばを待ち望みました。主がみことばを直接語って下されば問題は解決する、という信仰を持っていました。主は、そのような信仰をほめられます(ルカ7:9)。

適用:みことばに望みを置いていますか?

一言:主のみことばは、ことごとく真実である



2016年 10月 07日 (金)

詩篇119:89-112
あなたのみことばは、私の足のともしび

神様の御言葉を守るために、著者は悪の道から遠ざかり、神様の定めから離れませんでした。「良薬口に苦し」ということわざがありますが、神様の御言葉はそうではありません。「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。」(103)。実に、御言葉を学ぶ人に喜びを与えるものです。
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(105)とあるように、神様の御言葉は、行くべき道を照らす光の役割を果たします。光の中に歩む時、迷うことはありません。さまようこともなく、いのちの道をまっすぐに進むことができるのです。

適用:進み行くべき道は明らかですか?

一言:主のみことばが、足のともしびとなる



2016年 10月 08日 (土)

詩篇119:113-136
私の隠れ場、私の盾

それで、著者は公正と正義を行いました(121)。だから、彼をしいたげる者から、守ってくださるようにと祈っています。神様みずからが「しもべの幸いの保証人となって」下さるようにと祈り求めています。神様の教えは、金よりも、純金よりも、尊いもので、その教えを愛すると、著者は言っています。
さらに進んで、「わきまえのない者に悟りを与えます。」と言っています(130)。彼の言葉を聞いて、神様を愛する者が悟りを得るように、と祈っています。なぜ周りの人間は自分を虐げるのか、神様の教えを守らないのか、それを考えると、著者は悲しくなりました。「私の目から涙が川のように流れます。彼らがあなたのみおしえを守らないからです。」(136)。 私たちも、救い主イエス・キリストの中に深く根を下ろし、どんな時にもゆれ動かされない信仰を持つ者であるようにしましょう。私たちは、一人ぼっちでこの難しい世の中を生きなければならないのではありません。主の霊である聖霊様が与えられています。ですから、御霊の導きの中で、御霊によって、二心を捨てながら歩む生活をしていけます。

適用:わたしは普段、どこに隠れるのか?

一言:私の隠れ場イエス様



2016年 10月 09日 (日)

詩篇119:137-160
私は夜明け前に起きて叫び求めます

この神様の御前に立った時の、彼の姿はどうだったのでしょうか。「私はつまらないもので、さげすまれています。」とあります。あまりにも、自分の姿がみすぼらしく思えます。しかし、神様の戒めに対する熱い、その思いは誰にも負けていませんでした。たとい、苦難と窮乏が著者に襲いかかっても、神様の御言葉から彼を引き裂くことができませんでした。
どれだけ、この神様の御言葉を求めているのでしょうか。「私は心を尽くして呼びました。主よ。私に答えてください。」とあります。「私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。」(147,148)。人々がまだ、寝静まっている頃、著者は神様の御声が聞きたくて、誰よりも早く目を覚まし、誰よりも切実なる思いで祈り求め、叫びました。それで、恵みによって、神様が彼の祈りを聞いてくださるようにと、切に願い求めています。迫害する者、敵の手から、守って欲しい、と願っています。 私たちも一日の一番最初の時間を神様にささげ、切に祈り求めましょう。今日も一日、私と共にいてくださり、守ってくださる主に祈りましょう。

適用:夜明け前の時間、何をしていますか?

一言:私は起きて、主に叫び求めます。



2016年 10月 10日 (月)

詩篇119:161-176
私のたましいが生き

著者はまた、敵に対する報復を求めていません。「私に悟りを与えてください。」と祈っています。「私のくちびるに賛美がわきあふれるようにしてください。」「私の舌はあなたのみことばを歌うようにしてください。」と祈りました。自分の手で、敵に対して報復するのではなく、神様が救い出してくださるように、と祈っています。「私のたましいが生き、あなたをほめたたえますように。そしてあなたのさばきが私の助けとなりますように。」(175)と祈りました。神様の戒めを愛している著者を、敵の手から守ってくださり、正しいさばきをしてくださることを願っています。この神様を賛美したいと、と切に願い求めています。 私たちも、日々の生活の中で、不平不満をもらすのではなく、いつも神様に賛美し、感謝するようにしたいものです。私に対して、快く思っていない人のことを考え、とりなしの祈りができるように、主に助けて頂きましょう。

適用:わたしのたましいは何をしているか?

一言:あなたをほめたたえますように。



2016年 10月 11日 (火)

詩篇120:1-7
偽りのくちびる、欺きの舌から、救い出してください

こんな苦しみのうちに、詩人はどうしましたか。彼は怒りを持って周りと戦うことをしませんでした。彼は絶望せず、主を呼びました。偽りのくちびると欺きの舌から救い出してくださるよう、主に呼ばわりました。偽りと戦う唯一の方法は、主に出てゆき、祈ることです。そのとき、主は彼に答えられました。
主は彼に救いと裁きの確信を与えてくださいました。主から欺きの舌に何が与えられ、何が加えられますか。主は勇士の鋭い矢、えにしだの熱い炭火をもって厳しく裁かれます。主は偽りを憎む方です。偽りと欺きを受けるとき、私たちは主に呼ばわらなければなりません。そのとき、主は私たちのいのちを必ず救い出してくださいます。そして、すべての偽りと欺きを裁かれます。
詩人は人々と平和を望んでいます。しかし、彼が住むこの世は平和を憎む者たちであふれています。平和を話すと、彼らは戦いを望んできます。このような人々が多いこの世の中で寄留しているのは苦しいことです。そんな中、平和を追い求めるのは、自分が哀れな者のように思えてしまいがちます。しかし、福音は主と私たちの間に平和をもたらす神のプレゼントであり、武器です。私たちがこの神の武器であり、プレゼントである平和をもって、この世に仕えるべきです。平和の福音をもって、この世に打ち勝つべきです。

適用:偽りと欺きによる憎しみが溢れかえっているこの世でどのように暮らすべきでしょうか?

一言:戦わず、祈りましょう。



2016年 10月 12日 (水)

詩篇121:1-8
主はあなたを守る方

信仰する道を歩むとき、自分を打ち負かそうとする敵が多く現われます。すると、不安と恐れで滅びてしまいそうになります。しかし、主は私たちの足をよろけさせず、まどろむこともなく、眠ることもなく、私たちを守ってくださいます。主の御手の中にいるとき、昼も日が私たちを打つこともなく、夜も月が私たちを打つことはありません。私たちの人生にはさまざまな艱難とわざわいの連続です。失敗もあり、ときには事故にもあいます。病が絶えないときもあります。すると、私たちはたびたび悲しみと絶望に陥ります。しかし、私たちのそばにおられる主が、すべてのわざわいから、私たちを守り、私たちのいのちを守ってくださると約束してくださいました。私たちが行くときにも、帰るときにも、今よりとこしえまでも守ってくださると約束してくださいました。私たちは、わざわいが襲ってくることを避けることができません。しかし、主が守ってくださるので、私たちはそのわざわいのときにも、悲しまず、絶望せず、安心して、最後まで信仰と平和の道を歩むことができるのです。

適用:わざわいのとき、誰に向かって目を上げるべきですか?

一言:主に向かって目を上げましょう。



2016年 10月 13日 (木)

詩篇122:1-9
エルサレムの平和のために祈れ

このキリストによる教会で捧げる礼拝は、天の御国の民の特権です。王座におられるイエス様を褒めたたえる新しいエルサレムでの礼拝は、この世でおける天の御国の喜びの祭りです。
エルサレムは「神の民の都」という意味です。主はこの世に平和を与えるためにエルサレムを選ばれました。詩人はエルサレムの平和のために祈れと言っています。エルサレムが平和のとき、この世に平和のための御業を成し遂げることができます。平和とは、主が与えてくださる大切なプレゼントです。平和とは主との正しい関係性の中でのみ、与えられる喜びと自由です。平和は繁栄の秘訣です。主の民の繁栄するとき、この世も祝福されます。主の関心は教会の平和です。教会が不和と分裂の葛藤があるとき、神様は悲しまれます。私たちの教会が、平和で、繁栄し、世界のキャンパスが祝福されることは主である神様の大きな喜びとなります。

適用:教会を愛していますか?

一言:平和のために祈りましょう。



2016年 10月 14日 (金)

詩篇123:1-4
私たちをあわれんでください


適用:ひどくさげすまれ、あざけられていますか?

一言:憐れみ深い主に向かって目を上げましょう。



2016年 10月 15日 (土)

詩篇124:1-8
もしも主が私たちの味方でなかったなら

わなに仕掛けられた鳥は、自ら抜け出すことができません。抜け出そうとすればするほど、紐が絡まり、より一層締め付けられます。もはや死を待つのみです。同様に、罪に捕らわれると、私たちも自分の力で抜け出すことは出来ません。自分の力でその罪の勢力と戦おうとしても無駄です。更に深い罪のわなに縛り付けられるだけです。もう永遠の死と滅びを待つのみです。そんな私たちのために、主はイエス・キリストをこの世に送ってくださいました。イエス様の十字架には、罪のわなから私たちを救い出すことのできる力があります。私たちがイエス様を信じるとき、私たちは罪から解放され、助け出されます。助けられた私たちは天地を造られた主の御名を褒めたたえながら、自由の身と魂になり、幸せな人生を生きることができます。

適用:主が私たちの味方でなかったなら、どうなったでしょうか?

一言:私の助けである主



2016年 10月 16日 (日)

詩篇125:1-5
主に信頼する人々

それから、詩人は主である神様に善良な人々と心の直ぐな人々に、いつくしみを施してくださるように願い求めています。善良な人々と心の直ぐな人々とは、主である神様と正しい関係性を結んでいて、主の御前で生きている人々のことです。彼らは主に信頼し、主の御言葉に聞き従うために、信仰の努力をしている人々です。主はこのような人々を守ってくださいます。しかし、曲がった道にそれて、主の御言葉に聞き従わない者と、自分勝手な道を歩き、不法を行う者どもは、ともに滅ぼされます。

適用:主はどんな人々を守ってくださいますか?

一言:主に信頼する人々



2016年 10月 17日 (月)

詩篇126:1-6
喜び叫びながら刈り取ろう

イスラエル民は喜びのあまり、口は笑いで満たされ、舌は喜びの叫びで満たされました。「主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。」そんな中でも詩人はまだ戻って来られない同族のために祈っています。イスラエルの南地方は荒野のような地域です。しかし、秋となり大量の雨が降ると、川が出来、急流となって流れます。すると、その乾いた大地は命あふれる豊かな大地に変わります。詩人はそれを思い出しながら、まだ帰って来られない同族を一日でも早く救わってくださるよう祈っています。(4)詩人は涙とともに種を蒔く者は、喜びながら刈り取ろうと歌っています。(5)まだまだ捕虜生活を強いられている同族が多いということです。しかし、彼らのために涙とともに祈るとき、主の救いを見ることになります。私たちはまだまだ罪と死の捕虜生活をしている周りの人々、キャンパスや職場の同僚や家族のために、涙とともに執り成しの祈りを捧げるべきです。主の時に、必ず喜び叫びながら刈り取ることを信じなければなりません。

適用:涙とともに福音の種を蒔く者はどうなりますか?

一言:喜び叫びながら刈り取ろう



2016年 10月 18日 (火)

詩篇127:1-5
主が家を建てるのでなければ

詩人は「見よ。子どもたちは【主】の賜物、 / 胎の実は報酬である。」と歌っています。(3)子供とは、結婚したら、誰でも自然に授けられるものではありません。神様が祝福として与えてくださる最高の報酬です。若い時に結婚して授けられる子供は、その人にとって、まさに勇士の手にある矢のようなものです。(4)矢のように心強い存在で、誇りなのです。また、主の中で直ぐに成長した子供の親は、不当に訴えられても、その子供によって、恥を見ることはありません。

適用:栄枯盛衰は誰の手にありますか?

一言:主である神様



2016年 10月 19日 (水)

詩篇128:1-6
すべて主を恐れ、主の道を歩む者は幸いです

すべて主を恐れ、主の道を歩む者は、豊かに実を結ぶぶどうの木のような妻と、オリーブの木を囲む若木のような子供を、祝福として授けられます。(3)ぶどうの木はどんな果樹の木よりも豊かに実を結びます。ぶどうの木はその実で人々を喜ばせます。ぶどうの木のような妻は、家庭を豊かにし、喜びの実を豊かに結ばせます。オリーブの木を囲む若木は、橄欖(カンラン)の木のことです。その木は寿命が千年と言われる程長くて、その実や木の皮までも有用に使われる木です。つまり、多くの人々に有用な人になることを意味します。
信仰の人々は、誰でも主から豊かな幸福を頂くことを願っています。ところが、どんな人が主の幸福を頂けるでしょうか。それはすべて主を恐れ、主の道を歩む者です。個人や家庭だけではなく、国の繁栄さえも主の主権にあります。

適用:どんな人が主からの幸福を頂けるでしょうか?

一言:すべて主を恐れる人



2016年 10月 20日 (木)

詩篇129:1-8
悪者の綱を断ち切られた


適用:悪者に苦しめられていますか?

一言:恥を受け、退けられる



2016年 12月 02日 (金)

詩篇130:1-131:3 (130:5)
私は主を待ち望みます

  詩人は、深い淵から神様を呼び求め、主にすがりつきます。主を待ち望み、主の御言葉を望んでいます。夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ち望みます。人々が甘い夜に浸っている間、夜回りは眠ることができません。夜回りにとって、夜はあまりにも長く、つらく、孤独です。夜回りは夜明けを待ち望みます。夜回りにとって、夜明けは望みであり、いのちです。詩人も、神様を待ち望みます。なぜなら罪を赦され、救ってくださる方は神様だけであることを知っているからです(4)。神様の御言葉と赦しだけが、救いと望みといのちを与え、たましいを和らげ、いのちと喜びがあふれ出る源です。私たちが深い淵に落ちた時には、詩人のように神様を切に探し、すがりつきましょう。慈しみ深い神様は、そのような人と会い、全ての罪から贖ってくださいます。
  詩人は、自分の限界をよく知っています。それで、高ぶらず、担いきれないことをしようとはしません。大きな欲を持ちません。彼はただ、主だけを待ち望み、頼ります。自分の限界を知り、主に頼る彼のたましいは、母親に抱かれた乳飲み子のようです。恐れや心配がありません。たましいは静かで、平穏で、幸せです。高ぶる人には、このような静けさと平安がありません。私たちも、今からとこしえまでに、主を待ち望みましょう。

適用:深い淵にいませんか。

一言:主を待ち望め



2016年 12月 03日 (土)

詩篇132:1-18 (10)
うしろへ向けないでください

  イスラエルは、ペリシテとの戦闘で奪われた契約の箱を、木の畑で見つけました(Ⅰサム6章)。民たちは、主が主の力の箱と共に宮に入って来られたことによって、喜び叫びました。詩人は、主が神殿に住んでおられることを信じました。主が、主の油を注がれた者の顔をうしろへ向けさせないことを信じて、祈りました(6-10)。
  主はダビデに、神殿についての約束をくださいました。ダビデの子どもをとこしえに王位に着かせるように守り、働くと約束されました(11-12)。主は、ダビデから角を生えさせ、その人に油を注ぎ、立たせます。その人を通して、敵を討ち、王冠を輝かせます。また、主は、ご自分が選び、住まいとされたシオンに永遠に住まい、その民に祝福を与え、満ち足らせます(13-15)。ダビデの子孫は、ダビデのようには真実ではありませんでしたが、ダビデに対する主の約束は変わりません(11)。子孫が敵のゆえに叫び祈るなら、ダビデから角を生えさせ、その人を通して、敵を討ち、救われます。この契約は、救いの角であるイエス・キリストを通して、完全に成就されました。神様は、今も選ばれた民のうちに、とこしえに住まわれ、祝福してくださいます。その民が真実でなくとも、神様の誓いは永遠に変わることがありません。

適用:神様は、私の現状と祈りを遠ざけますか。

一言:遠ざけません



2016年 12月 04日 (日)

詩篇133:1-3 (1)
兄弟たちが一つになって共に住むことは

  詩人は感激して、感謝し、歌っています。人間の本性では難しくても、神様の恵みの中では、兄弟たちが一つになって共に住むことが可能になります。
  一つになれない人々が集まり、兄弟になり、一つになって共に住む姿は本当に美しく、良いものです。兄弟たちが共に住み、喜びと悲しみを分け合い、お互いに慰め合い、愛し、仕え、幸せになる姿は本当に美しいものです。見た目に良いだけではなく、高価な油が流れ出るように、神様の恵みが溢れ出てきます。個人的に神様の恵みを受けることもできますが、兄弟たちが一つになった共同体には、神様の恵みがさらに満ち溢れます。これは、ヘルモンの露がシオンの山の全ての木と葉っぱを覆い、いのちと豊かさをもたらすことに似ています。主は、兄弟とのつながりを通して、特別につながった共同体を通して、祝福が満ち溢れるように注いでくださいます。疲れて落胆した時にも、いのちを受け、回復され、新しくされ、いのちと望みが満ち溢れる恵みを注いでくださいます。私がいるところで、このような美しい御業が起きるように祈ります。また、私がすべきことも探して見ましょう。

適用:兄弟たちと一つになって、共に住みますか。

一言:何という幸せでしょうか



2016年 12月 05日 (月)

詩篇134:1-135:21 (135:3)
主の御名にほめ歌を歌え

  第一に、イスラエルを、ご自分の特別な存在として選ばれたからです(135:4)。イスラエルは、神様の特別な所有となる理由がなくても、神様に選ばれました。私が神様の特別な所有となり、その方の特別な関心と愛と保護を受ける存在になったのは、ただ、神様の恵みです。私をご自分の特別な所有として選ばれた主なる神様の恵みを黙想して、賛美しましょう。
  第二に、主が、全ての神々より偉大な方だからです(135:5)。異邦人たちが頼る偶像は、外の姿を見ればそれらしく見えます。主とは違って、目で見ることができます。しかし、偶像は、見ることも、聞くことも、呼吸することもできない存在に過ぎません。偶像を作る者と、それに頼る者は恥をかくしかありません。しかし、主なる神様は、天と地を造られた方です。イスラエルがエジプトの支配を受け、苦しみによって呻いた時、主は彼らの叫び声を聞かれました。主はエジプトを打って、屈服させ、ご自分の民を救われました。カナンの多くの国を討ち、強い王たちを殺しました。彼らの地をご自分の民イスラエルに、相続の地として与えられました。主、その御名は偉大で、美しい名です。世の人々は、偶像、愛、お金、権力などを崇拝し、頼ります。しかし、主なる神様は、この全てのものよりも、強いです。主なる神様は、必ず選ばれた民を保護し、祝福してくださいます。その御名を賛美しましょう。いつでも、この主を見上げ、頼りましょう。

適用:主のすばらしさと美しさを考えてみましょう。

一言:賛美しよう



2016年 12月 06日 (火)

詩篇136:1-26 (1)
その恵みはとこしえまで

  
  詩人は、神様に感謝せよ、と言います。なぜなら、神様のいつくしみは永遠のものだからです。神々の中で、唯一の神様は慈しみ深い方です。慈しみとは、愛と憐れみを意味します。では、どこを見れば、神様の慈しみが見られるのでしょうか。
  第一に、神様の創造から見ることができます。(4-9)。青い空、私たちが踏みしめている大地、全地を照らす太陽、夜空を美しく彩る月と星。これらを見ると、世を愛され、祝福される、とこしえまでに慈しみ深い神様を感じます。
  第二に、神様の救いから見ることができます(10-12,23-24)。神様は、エジプトの奴隷だった民を救ってくださいました。エジプトの長子を打ち、強い御腕で、彼らを導かれました。彼らを、卑しい中でも覚えてくださり、敵から救い出してくださいました。救いは神様の愛であり、憐れみです。
  第三に、神様の力から見ることができます(13-20,25)。神様は、葦の海(紅海)を二つに分け、イスラエルにその中を通らせ、パロの軍隊を葦の海に投げ込まれました。イスラエルに荒野を通らせ、大いなる王たちを打ち、有名な王たちを殺しました。そして、年毎に、全ての肉なる物に食べるものを与え、豊かに食べさせました。神様は、ご自分の民に対する愛と憐れみのために、このような大きな御業を行なわれました。
  第四に、神様がくださった相続の地から見ることができます(21,22)。神様は、イスラエルにカナンを相続の地としてお与えになりました。また、彼らに聖なる国民、祭司の王国の相続を下さいました。何もない者に地を与え、奴隷だった彼らを聖なる祭司の王国として用いることは、神様の一方的な愛です。とこしえまでにいつくしみ深い主に感謝します。
  
  

適用:あなたには、神様の慈しみがどのように現れているのでしょうか。

一言:主に感謝します。



2016年 12月 07日 (水)

詩篇137:1-9 (1)
バビロンの川のほとりに座って泣きました

  詩人は嘆きます。「私たちがどうして異国の地にあって主の歌を歌えようか。」(4)。しかし、歌わずにはいられません。バビロンが歌わないようにはさせなかったのです。詩人は断固とした態度を取りました。エルサレムを忘れない、と言いました。エルサレムを忘れたり、神様を喜ぶことより、歌うことをもっと好むのなら、右手がなえてもいいし、賛美する舌が上あごについてしまっても良い、と言います。エルサレムは神様の町です。エルサレムを覚えることは神様の中での生活を覚えることです。バビロンに連れてこられた人々は、神様を賛美して礼拝していた喜びの時間を覚えようとします。これが、最も大切なことであることを知っていたからです。私たちは、大切なことを忘れてはいけません。大切なことをよく守り、心に留め、歌い、喜びましょう。

適用:私にある大切なものは何か。

一言:失ってしまうと、泣くようになる



2016年 12月 08日 (木)

詩篇138:1-8 (1)
心を尽くして主に感謝します

  第一に、神様が祈りに答えてくださり、力を与え、強めてくださったからです(2,3)。ダビデには、苦しみが多くありました。都には、敵がいました。それで、生きるために狂ったふりもしました。荒野に逃げ、洞窟で過ごしたこともありました。また、戦場では危険も多くありました。このような中で、ダビデは切実な祈りをしました。落胆した時もありましたが、神様は彼の祈りを聞いてくださいました。彼の力になってくださいました。神様の助けによって、ダビデは危険と危機から抜け出すことができました。祈りを聞いてくださる神様、力をくださって強くしてくださる神様、ダビデはこの神様を考える時、心を尽くして感謝しました。
  第二に、敵の怒りから救ってくださったからです(4-8)。苦しみを受けるときは、感謝が出て来ません。怒りを発する敵の前では、神様が見えません。敵は強く、神様が弱く見えます。しかし、救いの神様は、全ての苦しみを神様を体験する機会に用いられます。神様は、詩人が苦しみを受けさまよっている時に、彼を生き返らせました。主の御手を開いて、敵の怒りをとめました。主は、強い右手を開いて詩人を救われました。それで、苦難と苦しみの場所が恵みの場所となります。恐れと悩みが賛美と感謝になります。苦しみが大きければ大きいほど、感謝も大きくなります。詩人は、主がその右の手で救ってくださる御業を深く体験したので、感謝が大きく、心から感謝しました。それで、今も苦しみがありますが、救いを求めています。

適用:私が受けた苦しみと救いを考えてみましょう。

一言:心から感謝します



2016年 12月 09日 (金)

詩篇139:1-24 (12)
主には、夜は昼のように明るいのです

  今、やみが覆い、行く道を失っていませんか。やみに悩まされていませんか。自分の考え、自分の判断を下ろしましょう。私の全てのことを知っておられる尊い、深い主の考えを受け入れましょう(17,18)。そして、夜を明るく昼のように照らす主にゆだねましょう。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。」(23,24)。神様は、私の考えや思いが悪ければ、正しくされます。私の行ないが悪ければ、正してくださいます。神様は光であるからです。その光の中にいる私には、やみが光となり、夜も昼のように明るく照るになります。

適用:周りはやみだけですか。

一言:主にはやみがない



2016年 12月 10日 (土)

詩篇140:1-13 (1)
私を助け出してください

  神様は、詩人をどのように助け出し、救い出されたのでしょうか。救いの源である神様は、戦争の日に詩人を安全に守ってくださいました(7)。災いによって悪者を覆い、炭火を彼らの上に落とされ、深いふちに落とされ、立ち上がれないようにされ、敗北するようにされました(9-11)。神様は、神様の人を弁護してくださり、さばきを行なわれます(12)。そのことによって、正しい者たちは主の御名に感謝し、直ぐな人たちは、主の前に生きます(13)。私を救い出される神様、私を保護される神様は、私の賛美と礼拝を受けるのにふさわしい方です。生涯、その方に感謝し、その方の中で生きることを喜び、その方についていきます。

適用:悪者に取り囲まれていないですか。

一言:私を救い出してください。



2016年 12月 11日 (日)

詩篇141:1-10 (2)
私の祈りが御前への香として

  
  ダビデは今、悪者によって苦しんでいます。悪者は、うまい物で誘惑します(4)。わなと落とし穴が仕掛けられています(9)。ダビデの心と魂は孤独で、苦しい状況に置かれています(7、8)。こんな時、彼は何をしましたか。切に主を呼び求めました。急いで来てくださいと主に呼ばわります(1)。祈りとは、悪がはびこる世界のど真ん中での神様への叫び声です。私たちは、悪に惑わされて倒れると、傷ついて苦しみます。そんな時、唯一の希望は、主が来られて救い出してくださることです。ところが、祈りはただの危機からの脱出手段ではありません。ダビデは、自分の祈りが聖所でたかれる香となり、手を上げることが夕べの捧げ物になるようにと、祈っています。祈りは香の如く、神様が嗅がれる香りです。私たちが祈ると香がたかれ、神様が喜ばれる香りとなります。神様はその香りを嗅がれるために、そばに近寄って来られます。祈りの香りを持つ人を、悪から救い出して守ってくださいます。
  ダビデは自分の口から出る言葉のために祈りました(3)。苦難がたび重なると、言葉で罪を犯しやすくなります。神様が口に見張りを置き、くちびるの戸を守ってくださらなければなりません。さらに彼は、自分の心を悪いことに向けさせないようにと祈りました。私たちは自分の意志と力では、罪の快楽を退けることはできません。神様が私たちの心を、悪い行いに携わらないように守ってくださらなければなりません。そして彼は、訓練と戒めを快く受けるように祈りました。高慢と自尊心のため教えを拒みがちです。正しい者の責めは、頭に注がれる尊い油です。責めを謙遜に聞き入れ、成長するのも主の助けによってのみ可能なことです。これらすべての恵みは、祈る人に与えられる実です。祈る人こそ、この世に打ち勝つのです。

適用:祈りの香りを持つ人ですか。

一言:なおも私は祈ります



2016年 12月 12日 (月)

詩篇142:1-7 (1)
声をあげて叫びます

  
  ダビデは暗い洞窟の中に隠れています。外には、迫害する者たちがいます。彼らは、わなを仕掛けてダビデを捕えようとしました。彼らはダビデより強いです。回りを見渡しても、助けてくれる人はいません。恐れに襲われたことでしょう。洞窟の中で、息をころして忍んでいたでしょう。しかし、ダビデは声を上げて、主に向かって叫びました。声を上げて主にあわれみを請いました。声を上げて叫んだとは、祈りによって恐れと戦ったということです。ダビデの置かれている状況は、真っ暗闇の只中です。でも、闇に負けませんでした。声を上げて叫ぶ祈りをもって、戦いました。祈りは、闇を退ける霊的武器です。叫ぶ祈りには、心に襲ってくる闇を追い出す力があります。世は恐れを用いて、私たちの魂を真っ暗闇の洞窟に閉じ込めようとします。絶望の淵に沈ませます。そんな時、祈りこそ闇を破る力です。声を上げて主に叫び、声を上げて請い求めると、主は闇を追い出してくださいます。叫ぶ祈りは全能の神様が働かれるかぎとなります。
  ダビデには、嘆きが多くありました。正しく生きようとしたので、苦しみが多くありました。心が傷つき、魂が苦しみました。ダビデはその苦しみをどこに吐き出しましたか。人に吐き出さず、神様の御前に注ぎ出しました。生きていく中で悔しい思いをすると、誰かに訴え、吐き出したい時があります。慰めがほしい時があります。そして、分かってもらえないと、よけい寂しく悲しくなります。人生の真の慰め主は誰でしょう。避け所である神様こそ慰め主です。神様には分かっていただけます。神様は、私たちの霊を見守ってくださり、嘆きを聞いてくださり、真っ暗な牢獄から連れ出してくださいます。嘆きを人に吐き出しても何の解決にもなりません。神様だけが、私の嘆きを根本的に解決してくださいます。

適用:嘆きと苦しみがありますか。

一言:声を上げて叫ぶ



2016年 12月 13日 (火)

詩篇143:1-12 (1)
あなたの真実と義によって私に答えてください

  
  ダビデは、酷い状況に置かれていました。敵に追いつめられ、長く死んでいる者のように暗い所にいました。自分の罪のせいで神様のさばきにかけられているようでした。ダビデは、こんな時であっても神様に祈りました。自分の罪を考えると、祈ることは難しかったはずですが、主の真実と義に頼って祈り求めました。罪のない人が御前で祈れるのではありません。神様の真実と義によって、私たちは祈ることができるのです。罪のため、さばきにかけられていると思うと絶望的です。そんな時、どうすればいいのでしょうか。自分自身を見つめるのではなく、神様の真実と義に頼って祈るべきです。神様は、人の義によって救いを施すのではありません。主の御名のゆえに人を生かし、主の義によって魂を苦しみから連れ出してくださるのです。主の愛と恵みのゆえに敵を滅ぼし、救ってくださいます。主の義に頼る祈りを最も喜ばれる理由が、そこにあります。
  ダビデは苦難の日に、昔の日々を思い出し、神様がご自分の民の救いのためになさったすべてのことに思いを巡らしました。すると、彼の心は熱くなりました。主に手を差し伸べ、助けを求めました。かわききった地のように主を慕いました。絶望の夜は過ぎ行き、新しい朝が来るのを待ち望みました。朝に主の恵みの御言葉を聞くことを願いました。主の御言葉は、暗い現実を乗り越えさせる希望の力です。聖書に出てくる神様は、今もなお生きておられます。昔、イスラエルになさった御手のわざを、今もなお私たちにも現してくださいます。苦難の日に御言葉を黙想し、神様を思い出すことによって、押し寄せてくる闇を退けることができます。神様は、御言葉を慕い求める人に、恵みの新しい朝を早く迎えるようにしてくださいます。
  
  

適用:罪のため、祈ることをためらっていますか。

一言:真実と義によって答えてくださる主



2016年 12月 14日 (水)

詩篇144:1-15 (1)
戦いのために私の手を鍛えられる

  
  ダビデの生涯はいくさ続きでした。彼のいくさは、神様の御名のための霊的な戦いでした。神様はダビデを戦いのために鍛えられました。特に指導者として、彼の手を鍛えて戦わせました。ダビデは血肉の戦いではなく、信仰の戦いをしました。神様は、ダビデが頼れる岩と盾になってくださいました。それで、彼は敵が怖くありませんでした。神様はダビデに勝利を与え、民がダビデに服するようにしてくださいました。人の人生は、蜃気楼のようです。その日々は、過ぎ去る影のようです。ところが、神様はこのような人を顧み、神様の戦いに召集してくださいました。救いを体験し、神様の勝利に加わるようにしてくださいました。資格のない者に臨まれた、なんと驚くべき恵みでしょう。ダビデはこのような神様を賛美し、愛を告白します。この世にしばらくいて過ぎ去る私たちにとって、神様の戦いに召されたことは、大きな恵みです。神様の永遠なる救いと栄光に加わるからです。祈りと信仰と従順と献身をもって神様の戦いをする人は、まことに幸いな者です。
  ダビデは、主をおのれの神とする民の幸せをほめ歌います。息子たちは、よく育った若木のように堅固です。娘たちは宮殿の柱のように大切な存在です。倉はあらゆる産物で満ち、羊と牛であふれるようになります。敵の攻撃もなく、戦争に出て行くこともありません。これは、将来入ることになる神の御国の姿です。神様は、主のために霊の戦いをした御民に豊かな実をくださいます。永遠なる平和をくださいます。物質主義と快楽主義が蔓延する世の中で神様に仕えるためには、数多くの戦いが必要です。疲れ果て苦しい時もあります。それでも、この戦いをする人は幸いな者です。神様の守りと救いと勝利と栄光が約束されているからです。

適用:戦っていますか。

一言:信仰の戦いをしよう



2016年 12月 15日 (木)

詩篇145:1-21 (1)
私の神、王よ

  
  ダビデはイスラエルの王です。しかし、彼はまことの王は神様であると告白します。神様をあがめ、御名をほめたたえます。ダビデは主の御名を日ごとにほめたたえ、世々限りなく、ほめたたえると言います。神様をほめたたえる理由は何ですか。第一に、大いなる救いのためです。神様は栄光輝く奇しいわざを行われました。大いなる恐ろしいみわざの力でご、自分の民を救い出されました。それは、イスラエルに救いの恵みを受ける資格があったからでしょうか。いいえ。ただ神様の豊かないつくしみと義によって救われました。第二に、あわれみのためです。イスラエルは、神様との契約を守れませんでした。彼らは、荒野で金の子牛を造って、偶像崇拝しました。契約が破棄され、彼らが絶ち滅ぼされても当然でした。ところが、神様は彼らを憐れまれました。彼らを赦し、契約を覚えてくださいました。第三に、与えてくださる恵みのためです。イスラエルは荒野で食べる物がなく、死の危機に直面していました。神様は御手を開き、食物を与えてくださいました。時にかなって与え、彼らの願いを満たしてくださいました。この神様はイスラエルの王です。
  この世の王たちは利己的で貪欲なため、民を苦しめ、傷つけます。どんなに立派な王であっても、その民を罪から救うことはできません。死の問題を解決できず、永遠の国を与えることもできません。ところが、神様はイエス様の贖いの恵みによって、私たちの罪を赦してくださいます。私たちの叫びを聞き入れ、悪から救い出してくださいます。神様は私たちに永遠の国を与えてくださいます。その国が永遠なので、その国の民である私たちも、永遠の民となります。永遠の御国で私たちは何をするのでしょうか。世々限りなく主をあがめ、主の御名をほめたたえるでしょう。ですから、この世に生きている間も、日ごとに限りなく主をほめたたえるべきです。
  
  

適用:王なる神様を日ごとにほめたたえていますか。

一言:世々限りなく主の御名をほめたたえる



2016年 12月 16日 (金)

詩篇146:1-10 (1)
私のたましいよ、主をほめたたえよ

  
  詩篇146篇から150篇までは、ハレルヤで始まりハレルヤで終わっているので、ハレルヤ詩篇とも言えます。詩人は、「私のたましいよ。主をほめたたえよ。」と言っています(1)。私たちは、くちびるでだけでなく、心を尽くして神様をほめたたえるべきです。また、詩人は生きているかぎり、命のあるかぎり、神様をほめたたえようと告白しています(2)。人は神様の被造物として神様をほめたたえる人生を生きるように造られました(イザ43:21)。どんな時にでも神様の約束と御心を信じて、神様をあがめ、ほめたたえるのが真の信仰の人の姿です。けれども、人々は見えない神様をほめたたえ、頼るより、目に見える人に頼ります。ところが、たとえ君主だとしても頼る対象にはなれません(3)。霊が出て行くと、肉体は土に帰り、もろもろの計画も滅びうせるのが人間なのです(4)。人に頼る者は失望しますが、神様を助けとし、主に望みを置く者は幸いです。
  詩人がほめたたえる神様はどんな方ですか。神様は天と地と海とその中のいっさいをも造られた方で、とこしえまでも真実を守る方です(6)。神様は虐げられる者のためにさばきを行い、飢えた者にパンを与え、捕らわれ人を解放される方です(7)。また、神様は盲人の目をあけ、様々な理由で心が曲がっている者を起こされる方です(8)。神様は、社会の弱者である在留異国人、みなしご、やもめを守る方です(9)。神様は正しい者は愛しますが、悪者の道は曲げられます。生きている限り、この神様に頼り、ほめたたえましょう。
  
  
  
  

適用:主の恵みがありますか。

一言:主をほめたたえよう



2016年 12月 17日 (土)

詩篇147:1-20 (3)
彼らの傷を包む

  
  詩篇147篇は、バビロン捕囚から帰還した後の宮の奉献式で使われた賛美です。人生には、良いこと、楽しいこと、麗しいことが多くあります。その中でも、最も良いこと、最も楽しいこと、最も麗しいことは、神様を賛美することです。人は神様を賛美するために造られました(詩33:1)。詩人が賛美する神様は、どんな方ですか。エルサレムを建てイスラエルの追い散らされた者を集める方です(2)。神様は、罪を犯したイスラエルを、バビロンを使って懲らしめました。ところが、時になって、追い散らされた者を集め、心の打ち砕かれた者を癒し、彼らの傷を包んでくださいました(3)。神様は罪とサタンの奴隷だった私たちを救い出し、罪によって病んでいる魂と心を癒し包んでくださいます。神様は星の数を数え、そのすべてに名前をつけられます(4)。神様は宇宙のすべてをご存じであり、また支配しておられ、私たちの名前もご存じです。神様は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたいです(5)。神様は心の貧しい者を支え、悪者を地面に引き降ろします(6)。また、雲で天をおおい、地のために雨を備えます。山々に草を生えさせ、獣と鳴く烏の子にまで目を留め、食物を与えてくださる神様です(8、9)。このような、神様の限りない恵みと憐れみは、どんな人に注がれますか。自分の能力に頼らず神様を恐れ、御恵みを待ち望む者にです。神様は、ご自分を恐れ、どんな時にでも御恵みを待ち望む人を好まれます(11)。
  
  
  
  
  
  

適用:心に傷がありますか。

一言:包んでくださる



2016年 12月 18日 (日)

詩篇148:1-14 (3)
すべてのものよ、主をほめたたえよ

  
  詩人は、天地万物に向かって、主をほめたたえよ、と呼びかけています。まず、天にあるすべてのものに、主をほめたたえよ、と促しています(1)。御使いも、主の万軍も、日も月も星も主をほめたたえよ、と言っています(2、3)。多くの人は、天にある被造物を神のように崇拝します。しかし、天にある被造物を全て造られた主だけが崇められ、ほめたたえられるにふさわしい方です(5)。次に、詩人は、地と海にあるすべてのものに、主をほめたたえよ、と言っています(7)。火、雹、雪、煙、あらしにも賛美を促しています。山々、丘、実のなる木、杉、獣、家畜、はうもの、鳥にも主をほめたたえよ、と促しています。天と地にあるすべての被造物の存在目的は、何でしょうか。神様の栄光を現してほめたたえることです。神様に似せて造られた人も、神様の栄光を現して主をほめたたえるために造られました。そういうわけで、詩人はすべての人に向かって呼びかけます。「地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。彼らに主の名をほめたたえさせよ。」人は、すぐ高慢になりがちです。神様が受けるべく栄光を、横取りするのが人間の姿です。世の王たちと君主たちとさばきづかさたちは、自分たちを造り、高めてくださった神様がおられることを覚え、主をほめたたえなければなりません。
  
  
  
  
  
  

適用:自分の名を高めたいですか。

一言:主の御名だけがあがめられ



2016年 12月 19日 (月)

詩篇149:1-9 (1)
新しい歌を歌え

  
  詩人は主に新しい歌を歌い、聖徒の集まりで主を賛美せよ、と言っています。神様に捧げる賛美は、ただの習慣や儀式的なものになってはいけません。唇だけでの賛美ではなく、毎日新しく主に出会っていく上での新しい歌でなければなりません。詩人は、イスラエルに、おのれの造り主にあって楽しめ、と言っています。シオンの子らは、おのれの王にあって楽しめ、と言っています(2)。踊りをもって御名を賛美し、タンバリンと立琴をかなでて主にほめ歌を歌え、と言っています(3)。イスラエルを造られた神様は、私たちをも造られました。シオンの住民の王である神様は、私たちの王にもなられ、治めてくださいます。だとすれば、私たちを造られた神様、私たちの王である神様にあって楽しみ、賛美するのは当然のことです。なぜ新しい歌で、主を賛美しなければなりませんか。主はご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる方だからです(4)。神様は、ご自分の民、すなわち、苦しみの中で心が貧しくなった者を愛し、救い、栄光で飾ってくださいます。こういう神様を思うと、寝床についても感激と喜びで高らかに歌うようになります(5)。神様はイスラエルの手に、もろ刃の剣を与えました。イスラエルはもろ刃の剣をもって、神様に逆らって悪を行う国々に復讐し、懲らしめるようになります。今日、神様はご自分の民に、たましいと霊と骨髄の分かれ目さえも刺し通す力のある御霊の剣、即ち神様の御言葉をくださいました(ヘブ4:12)。私たちを救っただけでなく、両刃の剣よりも鋭い御言葉をくださり、罪とサタンの勢力に苦しむ人々を助けてくださる神様を賛美します。
  
  
  

適用:私の口と手に何がありますか。

一言:賛美と剣(御言葉)



2016年 12月 20日 (火)

詩篇150:1-6 (6)
息のあるものはみな、主をほめたたえよ

  
  詩篇50篇は、詩篇全体の結論と言えます。詩人は、聖所で神をほめたたえよ、と言っています(1)。同時に、神様の御力を表す大空でもほめたたえよ、と言います。神様は、天と地のすべての所で賛美されるべき方です。詩人は神様の大能のみわざのゆえに、そのすぐれた偉大さのゆえに、主をほめたたえよ、と言います。偉大で全能なる神様は、イスラエルの歴史の中で、大いなる驚くべきことを成されました。偉大で全能なる神様は、ご自分の民を敵の手から連れ出し、救われました。偉大で全能なる神様は、私たちの人生の中でも大いなる驚くべきことを成されました。このような神様は、天と地のすべての所で賛美されるべき方です。そこで、詩人はこの世にいる聖徒たちに、色々な楽器をもって神様をほめたたえよ、と言います。角笛を吹き鳴らし、十弦の琴と立琴をかなで、タンバリンと踊りをもって緒琴と笛とで、神をほめたたえよ、と言います。音の高いシンバルと鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ、と言います。神様は、ありとあらゆる楽器を総動員して賛美されるべき方です。最後に、詩人は息のあるものはみな、主をほめたたえよ、と叫んでいます(6)。息あるすべての被造物は、神様を賛美するために造られました。すべての被造物は、息のある間は、神様をほめたたえなければなりません。神様は、空を飛ぶ鳥、海の魚、地の上にあるすべての被造物から、賛美されるべき方です。神様はユダヤの人だけでなく、この世に存在するあらゆる国の民からも、賛美されるべき方です。詩人は、息のあるものみんなが神様をほめたたえるその日を待ち望んで叫びます。「ハレルヤ!息のあるものはみな主をほめたたえよ。ハレルヤ!」
  
  
  

適用:息のあるものですか。

一言:ほめたたえよ


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