聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2021]

2021年 02月 06日 (土)

詩篇1:1-6(1,2)
幸いなことよ

どんな人が幸いな者だと思いますか。大きな家、安定した職場、収入と時間に余裕がある人生が、幸いに見えないでしょうか。世の中には、悪しき者のはかりごとが、まかり通り、悪しき者のはかりごとに歩めば、早く、簡単に成功を収められるように思えます。汗を流して正直に生きている人もいますが、不正な方法で財を蓄える人々もいます。世の中を見ると、神様と、神様の教えを認めない人々が大多数であり、時代の潮流を形成しています。悪者たちの成功と栄光を見ると、彼らが幸いな人だと考えたりもします。

 しかし、本当に幸いな人は誰でしょうか。主のおしえを喜びとし、昼も夜も、そのおしえを口ずさむ人です。「口ずさむ」とは、律法を口に出して口ずさみ、心に刻んで行くことです。幸いな人は、主の教えを喜びとします。その教えを口ずさみながら、真理を悟ることを喜びとし、神様と、世の中と、人々について、さらに分かることを喜びとします。その教えを喜びとしながら、人生が明るい時も、暗い時も、成功する時も、失敗する時も、昼も夜も口ずさみます。悪しき者のはかりごとに歩まず、主の教えに従って判断し、その教えに従って生きます。そのように生きる人の人生は、流れのほとりに植えられた人のようです。流れのほとりに植えられた木は、いつも豊かな水が供給されるので、いくら干ばつがひどくても、問題にはなりません。むしろ、強い日差しと干ばつの中で、根をはり、香りの良い、おいしい実を豊かに結びます。主の教えを喜びとし、昼も夜も口ずさむ人は、御言葉を通して、乾かない信仰、望み、平和、節制、力などを受けます。殺伐とした世の中に打ち勝ち、行なうこと全てにおいて、成功します。しかし、悪者はそうではありません。すぐに成功し、栄えはしますが、その最後は、風が吹き飛ばすもみがらのようです。神様のさばきに耐え忍ぶことができません。詩篇1編は、詩篇全体を開く門のようです。詩篇に登場する詩人たちの人生と告白、悪者たちの人生を見る時、幸いな人は、主のおしえを喜びとし、昼も夜も口ずさむ人です。



適用:誰が幸いでしょうか

一言:主の教えを喜びとする人


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