聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2021]

2021年 05月 01日 (土)

詩篇28:1-9(7)
主は私の力、私の盾

 神様が私の祈りを聞いてくださらないように思え、私の困難に沈黙されているように思える時があります(1a)。また、私が悪者のように思える時があります(3)。そのような時、死の穴に落ちたように恐れ、目の前が暗くなります(1b)。心の中に、神様の愛に対する疑いが入り込んできます。私を助けてくれない神様を疑います。しかしダビデはどうしたのでしょうか。ダビデは、死の威嚇と恐れの中でも、神様がおられる至聖所に向けて、手を挙げて、主に叫んで祈ります。彼は、神様が悪者をその行い通りに報い、報復してくださることを信じました。また、彼は神様を賛美します。「ほむべきかな 主。主は私の願いの声を聞かれた。」(6)。彼は、神様が「私の力、私の盾」であると告白します(7a)。「神様が私の盾」であることは、無防備な体で敵の容赦ない攻撃を受ける時、悟るようになります。ダビデは言います。「私の心は主により頼み、私は助けられた。」(7b)。感謝できない状況、不信仰になりやすい状況は、むしろ神様に出会える機会になります。神様が共におられることを最もはっきりと悟るのは、一人捨てられたような状況の中でです。人々は苦しみが無く、平安で全てのことがうまくいく状況を願います。しかし、その時は、神様を発見することができず、神様を望むこともしません。私の力、私の盾である神様を新たに感じ、出会うのは、穴に陥る状況、捨てられたような時です。そうすると、祝福された生活は、外的に平安な安楽の人生ではなく、むしろ神様と新しく出会える苦難の生活です。外的な状況はつらいですが、神様がその力であり盾であるので、ダビデの口からは賛美が流れて来ます。「私の心は喜び躍り、私は歌をもって主に感謝しよう。」

 望んでいる物を得て物事がうまくいけば、神様が助けてくださると思うのではないでしょうか。一日一日、悲しみと苦しみ、迫害と苦痛の中でも、私の力であり、盾である神様が私の手をしっかりとつかんでおられると信じていますか。ダビデの最後の告白は次の通りです。「どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも彼らを携え導いてください。」(9b)



適用:苦難の中で、だれに頼りますか

一言:主により頼み、助けられた


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