聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2021]

2021年 05月 13日 (木)

詩篇39:1-13(5,7)
手幅ほどの人生

 ダビデは舌で罪を犯さないために、悪人の前では自分の口に口輪をはめておこうと決心しました。悪人を非難したり争ったりして舌で罪を犯してしまうことを警戒しています。舌による罪の深刻さを認識して、口に口輪をはめておこうとした覚悟は素晴らしいことです。舌はどんな凶器よりも恐ろしい事態を引き起こしかねません。ですから、必要に応じて口輪をはめることができるように、訓練しておくべきです。ダビデは口に口輪をはめて、良いことにさえ沈黙していたら辛くなりました。悪事に対する憤りと、ひとこと言いたいのを我慢する苛立たしさで燃え上がりました。

 そのような時、ダビデは神様に「私の終わり 私の齢がどれだけなのか。私がいかにはかないかを 知ることができるように。」(4b)と祈ります。視点が周囲の人々から自分自身の内面の状態へと変わりました。祈っているうちに、彼は自分自身の日数が手幅ほどしかないことに気づきました。実に短すぎて、ないも同然の一生であると言います。若さや健康、誇りとするものも、実は虚しい限りです。人は手幅ほどの短い人生を蓄えるために、楽しむために忙しく歩き回りますが、実は空回りするだけで虚しい限りです。ダビデは、限りある人生の虚しさに気づかされました。虚しく、騒がしいことへの執着をかなぐり捨てて、永遠なるものに望みを置きます。手幅ほどのこの世での栄華も、富も、成功も真の望みにはなれません。真の望みは主です。主だけが望みであることを悟ったダビデは、主に祈ります。旅人としてこの世で生きている間、すべての罪から助け出してくださるように祈ります。そして、最終的には天の御国に望みを置きます。主のみが望みであれば、目に見える功績ではなく、自分の生き方と内面を深くかえりみて、聖なるものを待ち望みます。



適用:望みは何ですか

一言:主です


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