聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2021]

2021年 07月 02日 (金)

詩篇43:1-5(4)
最も喜びとする神のみもとに行く

 この詩篇では、神様を信じない人々に取り囲まれてしまい、どこにも助けが見出だせず絶望しか無いような中ででも、切実に祈っているダビデの姿が見られます。彼の周りには、欺きと不正の人たちが多くいました(1)。そのような人々に取り囲まれたダビデは、神を信じる自分の信仰のゆえに敵から虐げられ、嘆いて歩き回らなければならなかったのでした(2)。そのゆえ、彼は落胆して非常に悩みました。私たちは時々、神様が自分を見捨てたかのように思う時があるでしょう。その時には目の前に起きている苦しい状況に、心がくじけて落胆し、諦めてしまいがちです。悲しみに打ちひしがれて憂鬱になり、苦しみを避けるために、不敬虔な人々と妥協したくなる場合もあるかもしれません。

ところが、ダビデはそのような時に何をしましたか。彼は「どうか、あなたの光とまことを送り、それらが私を導くようにしてください。」(3)と祈りました。欺きと不正の民に対して、神の光と神のまことを求めたのです。どんな欺きと不正の暗闇も主の光には打ち勝てないと知っていたからです(ヨハネ1:4・5)。ダビデは、主はまこと(真実)と恵みの神だと信じていました(詩篇89)。「光とまこと」は、主のご品性であり、恵みとともに私達に与えられると信じていました。それで、ダビデは主の祭壇に立って、自分の最も喜びとする神のみもとに行き、竪琴に合わせて主を褒めたたえようとしました(4)。自分のたましいが、どんなに騒ぎ、うなだれても、それに流されるままにせず、むしろ自分のたましいを奮い立たせて、神を待ち望むようにしました(5)。このように彼は信仰によって自分のたましいを励まし、神様を待ち望み、褒めたたえることを選びました。私たちもクリスチャンの少ないこの国で、主を信じる信仰のゆえにいわれのない攻撃を受け、苦しい思いをする時があります。そんな時こそ、神様に助けを求めて切に祈りましょう。



適用:苦しい時にはどうしますか

一言:神の前へ行きましょう


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