聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2021]

2021年 07月 08日 (木)

詩篇49:1-20(15)
私のたましいを贖い出した神様

 49篇は、誰しもいつかは必ず死の問題に直面すると語っています。人生はいつか終わり、人はそれを避けられないということです。この世には財産に寄り頼み、豊かな富を誇る人々がいます。彼らはお金さえあれば何でもできると思います。そんな彼らが一つ悟ってないことがあります。それは、お金では永遠のいのちを買い取ることができないという事実です。人はどれほどの富を蓄えようが、どれほどの名誉を得ようが、その行き先はすべて「墓」であって、死ぬときには何一つ持って行くことができないのです。人は誰でも栄華のうちに永久にとどまることはできません。いつかは皆、例外なく死んで墓に葬られます。この世では金持ちがVIPとして扱われます。しかし金持ちであっても、最後は死が待っているという点では、滅び失せる獣に等しいのです。これが財産に寄り頼み、富を誇る人の最期の姿です。真の知恵ある者とは、富も、知恵も、栄誉も、死ぬ時には何一つ頼りにならないことを悟る人です。それを悟れば悟るほど、人は謙遜になります。すると、空しいものに頼らなくなり、この世のものに対する執着と貪欲からも自由になります。

 このように人は誰もが必ず死ななければならず、その命を贖うことは誰にもできません。ところが、15節で「しかし」と、一筋の光となる言葉が出てきます。「神は私のたましいを贖い出し、よみの手から奪い返してくださる」というのです。神様は私たちを贖い出すために、「身代金」として高価な「代価」を払ってくださいました。何とご自分の一人子・イエスのいのちさえも惜しみなくお与えになったのです。私たちは主イエスの尊い血潮によって新しい命を得、死を打ち破る復活の栄光をも頂いています。また朽ちることのない永遠なる神の御国に入ることをも保証されています。ですから、私たちは「死」を恐れる必要も、この世の金持ちを羨ましく思う必要もありません。彼らは死んだ時に持っていけるものがありませんが、私たちは持って行けるものが多いのです。私たちには神様が与えて下さった永遠のいのちと復活の栄光があるのです。



適用:死んだら何を持って行きたいですか

一言:お金ですか、それとも永遠のいのちですか


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