聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2021]

2021年 09月 05日 (日)

詩篇61:1-8(4)
主の幕屋にいつまでも住み

 この詩篇は、弦楽器に合わせてのダビデの歌です。たぶん、神殿で弦楽器を引きながら歌っていたのでしょう。ダビデの生涯は波乱万丈だと言えます。サウルに命を狙われて荒野を逃げ回り、数々の敵に遭遇して攻撃を受けました。また槍と矢が飛び交う激しい戦場の中、命がけで戦い続け、多くの血を流しました。彼は、いつ、どこで命を失われてもおかしくないような危険と隣り合わせの日々でした。これがダビデの生涯です。敵から逃げ回っていたダビデの心は「衰え果て」ており、逃れた地が「地の果て」にあるように感じていました(2)。彼は心身共に疲れ果てて、神との距離を遠く感じていたのかもしれません。ですから、彼は自分の苦しみなどを神様が聞いてくださるように、大きな声で叫びの祈りをしているのです。

 私たちが住んでいる今の社会も、激しい戦場のようなものです。熾烈な競争や物質万能主義によるストレスと人間関係の崩壊、予期せず来る重い病と事故、そして目に見えないサタンとの闘いなど、解決しなければならない問題が山ほどあります。私たちクリスチャンはキリストのゆえに、人々から謗られ、憎まれ、蔑まれる場合があります。そこで、時折、自分の限界を感じ、失望と落胆に陥り、弱ったりします。

 しかし、ダビデは数々の死の危険の中でも常に主に叫びの祈りをしました。彼は自分の王権が岩のように高く揺るがないように祈ります(2)。それは主が自分の避け所、強いやぐらであると信じたからです。そして、彼は主に三つの誓願を立てます。それは、主の幕屋にいつまでも住むことと主の御翼の陰に身を避けること(4)、そして主の御名をとこしえまでもほめ歌うこと(8)、です。ダビデのこの三つの誓いは、いずれも礼拝に関わる誓いです。コロナ禍が長引く中、心が疲れ果てて沈む時も、地の果てと思えるような状況にあっても、私たちは常に主に誓願を立てるなど、主への礼拝を行うべきです。



適用:いつも主に頼っていますか

一言:主の幕屋いつまでも住みます


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