聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2021]

2021年 09月 06日 (月)

詩篇62:1-12(5)
黙ってただ神を待ち望め

 この詩篇62篇は、ダビデが自分の子であるアブシャロムに追われて逃げ回った、心苦しい状況の中で書かれたものだと言われています。ダビデの敵たちは、ひたすらダビデを襲い、こぞって打ち殺そうとしています(3)。ダビデを王位から突き落とそうと企んでいる者たち、そして口では祝福するが心では呪う偽り者たちがうごめいています(4)。その時、ダビデは「孤立無援」の心境で、腹黒い人のことばに非常に心を痛めていたことでしょう。このような状況になると、

気落ちして絶望し、憤ったり、恨んだりしやすくなります。

 しかし、ダビデはどのようにしましたか。表題に「エドトンによって、ダビデの賛歌」とあります。エドトンは、ダビデ王国の時代に、賛美に仕える聖歌隊のリーダーの一人でした(Ⅰ歴代16:41)。これを考えますと、ダビデの賛歌はきっと喜びに満ちていたに違いありません。「私のたましいは黙ってただ神を待ち望む。私の救いは神からくる。神こそわが岩、わが救い、わがやぐら。私は決して揺るがされない」(1,2)。「私の救いと栄光はただ神にある」(8)と歌う、ダビデの賛歌は実に美しいものです。静けさがあり、希望と信仰があふれています。彼は自分に置かれている苦しい状況の中でも、静かに神を待ち望む、と歌っています。それは、救いと望みは神から来る、と信じていたからです(1,5)。

 ダビデは、民たちにも確信をもってこう言います。「民よ。どんなときにも神を信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎだせ。神はわれらの避け所である」(8)。この世に身を置いて生きている私たちにも、ダビデのような苦しみや憤り、恨み、絶望、落胆などは少なからずあるでしょう。やられたら、それ以上にやり返したくなるのが本音です。しかしダビデは、決してそのようなことはしませんでした。むしろ、救いと望みは神から来ると信じて、黙ってただ神を待ち望んでいたのです。これが私たちクリスチャンの生き方だと言えます。何かがあった時こそ、主の前で静かに祈り、静かに聖書を黙想し、静かに賛美の歌を歌ってみましょう。きっと心の底から湧き出る喜びがあるはすです。



適用:苦しい時にどうしますか

一言:黙ってただ神を待ち望む


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