聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2021]

2021年 09月 07日 (火)

詩篇63:1-11(1)
私のたましいは主をあえぎ求める

 63篇は、再び、ダビデがアブシャロムから逃げてユダの荒野にいたときに、エルサレム神殿での礼拝を慕い求めて書かれたものです。ユダの荒野は、水のない、衰え果てた渇いた地です。こんな荒野で身を隠しているダビデの心はどうだったのでしょうか。「まさか、息子が自分に反旗を翻して牙をむくとは!」ダビデの心はきっと非常に辛かったことしょう。ところがダビデは「神よ、あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、衰え果てた乾いた地で、私のたましいはあなたに渇き、私の身もあなたをあえぎ求めます」と歌っています。新改訳第3版には「…私のたましいは、あなたに渇き、私の身もあなたを慕って気を失うばかりです」とあります。ダビデはいま荒野に身を隠している中でも、気を失いそうになるほどに聖所での礼拝を慕い、主の力と栄光を見る為に主を仰ぎ見ている、というのです。

 すると、神様はダビデの願いを聞いてくださいました。ダビデを御翼で守り、救いの恵みを与えてくださったのでした。その恵みに答えて、ダビデは「主の恵みはいのちにもまさる」(3)と賛美します。「それゆえ私は生きる限り主をほめたたえ、主の御名により両手を挙げて祈ります」(4)と告白します。彼のたましいは、脂肪と髄を振る舞われたかのように満ち足りていると喜びにあふれた唇で主を賛美します(5)。床の上で主の助けを思い起こすとき、彼は主の御翼の陰で喜び歌います(6,7)。ここで私たちは真の礼拝について学ぶことができます。イエス様は、礼拝すべき場所は必ずエルサレム神殿でなければならない、と思っていたサマリアの女に、「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければならない」(ヨハネ4:24)と言われました。荒野という環境の問題でも、場所の問題でもありません。どこにいても、心も身も主を慕い求めることが重要なのです。すると、荒野にいても神殿で礼拝しているかのように、主の救いの御恵みを味わい、祈りと賛美にあふれるようになるでしょう。これが主を慕い求める人が味わう美しくて祝福される姿です。



適用:乾いて荒廃した地だけが見えますか

一言:主を慕い求めましょう


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