聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2021]

2021年 09月 12日 (日)

詩篇68:1-35(19)
日々、私たちの重荷を担われる方

 ダビデは、悪しき者が神様の御前から滅び失せるようにと祈ります。しかし正しい者たちは小踊りして喜び、神様の御前で喜び楽しむことを望みます。悪しき者は神様をねたむ高慢な者たちです(16)。彼らは神様を憎んで逆らいます。時々このような人々が世の中を支配するので、神の民は孤独です。しかし、神様は貧しい者の神です。神様はみなしごの父、やもめのためのさばき人です。神様は、寂しく荒野の道を行く主の民の前に先立って出て行き、満ち足りた恵みを与えました。多くの軍勢の王たちを逃げさせました。自分の民を、きらめく黄金で羽がおおわれた鳩のように美しく着せてくださいました。私たちは、世の中では弱いようでも、神様が私たちの味方です。神様を頼りにするとき、世の中の悪しき者を恐れず義の道を進むことができます。

神様は日々、私たちの重荷を担われる方です。私たちにはどんな重荷がありますか。世界で一番重い荷物は罪の荷物です。罪を犯すと、たましいが苦しくなります。悲しみと後悔と罪の意識が心を苦しめます。罪の報酬は死です。罪を犯すと、死の恐怖に捕らわれます。私たちはこの重荷から自由になれません。神様はこのような私たちのために救い主イエス様を送ってくださいました。イエス様は私の重い罪を代わりに担って下さいました。神様は、自分の罪過のうちを歩む者の毛深い脳天を打ち砕かれます。しかし、神の民が罪を犯すと、あわれみ、罪の重荷を担ってくださいます。罪の重荷から自由になることより幸せなことはありません。たましいが生き返り、他のすべての荷物を担うことができます。 神様に仕える使命の荷物も、生活の荷物もよく担うことができます。



適用:重荷を担っていますか

一言:重荷を担われる救い主


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