聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2021]

2021年 11月 13日 (土)

詩篇80:1-19(1)
イスラエルの牧者よ、聞いてください

詩篇80篇は、北イスラエルがアッシリアによって滅んだ後に書かれたと言われています。神様はイスラエルの牧者です(1)。牧者は羊の群れを導き、守ります。牧者を失った羊は、涙の糧を食べ、多くの涙を飲んでいます(5)。隣人の争いの的となり、敵のあざけりを受けます(6)。このように神様が共におられないと、涙だけが残ります。神様なしの喜びは、朝の霧のようです。神様がいない平安は、風に流される雲のようです。詩人は、イスラエルの牧者に救いを求めました(2,3)。羊は牧者といる時、安全です。牧者が導く時、喜びと平安があります。詩人が「イスラエルの牧者よ、聞いてください」と叫ぶのは、牧者の懐を慕う羊の絶叫、すなわち、神様に帰ることを願う祈りです。涙の糧を食べ、多くの涙を飲んで悟ったことも感謝ですが、牧者から離れて行かないことが、さらに幸いです。

神様はぶどう園の農夫です。主がぶどうの木をエジプトから持って来て、カナンの地に植えられました(8)。主がよく整えたことによって、その根は深く張り、地に満ち、その影が山々をおおい、その枝は杉の木のようであり、その枝が海にまで至り、若枝が川にまで至りました(9-11)。ところが主が石垣を破られた時、道を行く全ての人々がぶどうを摘み取って食べました。林のイノシシが食い荒らし、野の獣も食べました(12,13)。これは、イスラエルがエジプトから出た後、一時期、南には紅海、北にはユーフラテスに至るまでの力を得ましたが、結局は力を失って滅ぼされたことを意味しています。主が植えられた苗、主のために力ある木の枝であっても、実がないなら、燃やされ、引き抜かれ、滅びます(15,16)。私たちは、ぶどう園の農夫が植え、育て、整え、実を結ばせたぶどうの木であることを忘れてはいけません。農夫はいつでも、ぶどうの木を切り、引き抜き、火で焼くこともできます。私たちは農夫ではありません。農夫の世話を必要とする存在です。農夫が世話をする時に成長し、実を結ぶことができます。



適用:涙の糧を食べていますか

一言:聞いて、助けてください


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