聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2023]

2023年 01月 07日 (土)

詩篇137:1-9(1)
バビロンの川のほとりに座って泣いた

イスラエルは、遠く見知らぬ地バビロンに引かれていきました。彼らはユーフラテス川のほとりに集まって座り、シオンが恋しくて泣き、神様に礼拝した時を思い出して泣き、今の悲しい状況によって泣きました。人は、大切なものほど、その時にはよく分かりません。それを失って初めてその大切さが分かります。普段なにげなく暮らしている家の大切さ、側にいる愛する人々の大切さ、そして何より私の神様と、神様を礼拝できる大切さ、これらのありがたさを私たちは忘れがちです。川のほとりに座って、昔の生活について話し、泣いているイスラエルの民たちのことを考えてみましょう。その寂しさとむなしさを、何によって満たすことができるでしょうか。バビロンの人々は、自分たちのために歌えとイスラエルに要求してきました。神様を賛美する歌で、自分たちを捕まえた者たちを喜ばせなければならないことは、どれだけ悲しく辛いことだったでしょうか。大切なものを失うと、このようにみじめになります。

詩人は嘆きます。「どうして私たちが異国の地で主の歌を歌えるだろうか。」(4)。しかし、バビロンはイスラエルが歌わないようにはさせませんでした。詩人はそれに対して、断固とした態度を取りました。エルサレムを忘れない、と言いました。エルサレムを忘れ、神様を喜ぶことよりも歌うことをもっと好むなら、右手がなえてしまっても、賛美する舌が上あごについてしまっても良い、と言います。エルサレムは神様の町です。エルサレムを覚えることは、神様の中での生活を覚えることです。バビロンに連れてこられた人々は、神様を賛美して礼拝していた喜びの時間を覚えようとします。これが、最も大切なことであることを知っていたからです。



祈り:父なる神様、どんな不利で苦しい状況になっても、神さまへの信仰を捨てたり、失ったりすることがないように私を助けてください。むしろ、神様との関係が深まる時となるように守ってください。

一言:失ってしまうと、泣くようになる


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