2023年 01月 20日 (金)
息のあるものはみな、主をほめたたえよ
詩篇150篇は、詩篇全体の結論と言えます。これまでにも繰り返し出てきた、主をほめたたえよ、という呼びかけが、最後の結論となっています。詩篇の記者が、これほど繰り返し呼びかけるのは、なぜでしょうか。それほどまでに、私たち人間が神をほめたたえることに対して頑なな考えを持っているからではないでしょうか。そして、主をほめたたえることが、神の民として非常に大切なことだからなのでしょう。では、私たちは、どんな場所で主をほめたたえるべきなのでしょうか。神の聖所でも、御力の大空の下でも、わたしたちは、どこであっても神をほめたたえることができます。神をほめたたえるのにふさわしい場所は、固定されていません。また、ほめたたえる方法も、実に自由です。角笛や琴、タンバリンなどの楽器をもってほめたたえることも出来ますし、踊りをもって、自分の腕、脚、お腹、背中、お尻、足の指、身体全体で主への賛美を表現することも出来ます。音の高いものでも、鳴り響くものでも、どんな音であっても、主をほめたたえる音は、神様が喜んで受け取ってくださいます。ですから、息のあるものはみな、主をほめたたえることができます。私たちが神さまをほめたたえる理由はなんでしょうか。それは、神さまが大能のみわざを成される方だからです。比類なき偉大さのお方だからです。人知をはるかに超えたキリストの愛を私たちに与えて下さった神様は、ほめたたえるにふさわしい唯一の神です。このような神さまがおられるので、私たちは、神の民として、正しく、敬虔に生きることができます。愛に基づいて考え、行動することができます。そのご性質、みわざに基づいて主をほめたたえる生活をするなら、私たちは必ず主の大能のみわざの中で生きる、力ある信仰者となるでしょう。
祈り: 主よ、あなたは常に変わらない、偉大で力に満ちたお方です。そんな主なる神様を、心からほめたたえます!自分の力ではなく、主の力をほめたたえる生き方ができるように助けてください。
一言:ほめたたえよ
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