聖書別日ごとの糧   >>   箴言[2003]

2003年 04月 30日 (水)

箴言1:1-7
知識の初め

I.箴言の目的(1-6)
箴言は道徳と訓戒を知るようにさせます。すなわち、人生に関する神様の道徳的な法則と訓練の真の意味を知るようにさせます。また、英知の御言葉を悟らせてくれることによって善悪の分別力を持つようにしてくれます。どのように行うことが一番知恵があり、正しくて、公平で、正直に生きることが出来るのか、その知恵を教えてくれます。また、箴言はわきまえのない者に分別を与え、若者たちに知識と思慮を得させてくれます。知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得ます。箴言は一言で成功する人生のため自分の行動を治める知恵を教えてくれます。
Ⅱ.知識の初め(7)
「主を恐れることは知識の初めである(7)」人生のすべての知恵の本質と初めは神様を恐れ敬うことにあります。「神様を離れては真の知恵がありえないし、神様を恐れないでは真の道徳がありえません」。恐れ敬うとは神様を恐れ、神様を喜ばせようとする心の動機と目的を持つことを意味します。このような恐れ敬う心を持つ時,神様は真の知恵を与えてくださるでしょう。

祈り:主よ!私が経験を通して知識を得ようとしないで、主を恐れ敬う知識の初めを得ようとする者になるように助けてください。

一言:神様を恐れ敬うことが知識の初め



2003年 05月 01日 (木)

箴言1:8-19
父の訓戒に聞き従え

I.あなたの父の訓戒に聞き従え(8,9)
息子は父の訓戒に聞き従い、母の教えを捨ててはなりません。神様は両親に御自分の代わりにその子供たちの教育を任されました(申6:6,7)。ですから父母は神様の命じられたとおりに子どもたちを教育すべきです。そして子供たちは父母の訓戒と教えに従い、拒んではなりません。それだけではありません。神様の子どもたちには霊的な父がいます。霊的な父の勧めと訓戒を心から受け入れるべきです。このような訓戒は決して負担になることではありません。頭の麗しい花輪であり、首飾りのようなものです。
Ⅱ.悪人の惑わしに従うな(10-19)
私たちが神様を恐れながら生きようとする時、多くの誘惑が伴います。悪い友達はいっぺんにあらゆる玉物を見つけ出し、見せかけの成金になれると誘惑します。しかし、決して甘い誘惑に惑わされてはいけません。鳥が見ている時に網を張っても無駄なことです。こっそり待ち伏せることは自分の血を流し、自分の命に害を与えるだけです。ですから悪事は陰でも踏んではなりません。

祈り:主よ!この罪人は高慢で父の訓戒を嘲りわがままに行ったことを悔い改めます。私が悪者の惑わしに落ちることなく積極的に善を行なうようにしてください。

一言:父の訓戒



2003年 05月 02日 (金)

箴言1:20-33
私の叱責を聞いて、帰れ

I.わたしの叱責を聞いて、帰れ(20-24)
知恵はちまたで呼び、広場でその声をあげます。騒がしい町角、町の門の入り口、町の中でその声を発して愚かな者の愚昧と傲慢な者の高慢と愚鈍な者の無知を責めました。そして知恵の叱責を聞いてかえれと訴えています。
知恵者の叱責を聞いて悔い改めて帰る時、どんな祝福が与えられるのでしょうか。聖霊が注がれ,もっと深くその知恵の意味を悟るようになります。それだけではありません。知恵に耳を傾ける者は安全に住み、災いを恐れることなく安らかです。ですから聖書の御言葉に耳を傾けるべきです。
Ⅱ.私の叱責を受け入れなかったから(25-33)
知恵が呼びかけても聞かず、叱責をも受け入れず、むしろすべての教訓を悔いる者たちは結局どうなりますか。災難に会い、大きな恐怖に襲われる時が来ます。それよりもっと恐ろしいことはその時、呼んでも無駄であることです。結局自分のたくらみに落ちるしかありません。ですからわきまえのない者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼすだけです。

祈り:主よ!この罪人が主の叱責の言葉を謙遜に受け入れないで企みを図った罪を悔い改めます。私が謙遜に主に知恵を求め、従順な者になりますように。

一言:自分の企みに落ちるな


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