聖書別日ごとの糧   >>   箴言[2003]

2003年 05月 12日 (月)

箴言8:1-21
知恵を熱心に捜せ

Ⅰ.人の子らに声をかける知恵(1-9)
他人の女は暗闇の道で人々を誘います(7:8,9)。しかし知恵は丘の頂、道のかたわら、通り道の四つかどのように多くの人々が出入りするところで声をかけます。「わきまえのない者よ。分別をわきまえよ。愚かな者よ。思慮をわきまえよ(5)」人々に声をかける知恵は最も良いものを言い、真理を言い、悪を忌み嫌います。常に義を語り、曲がったことと腐ったことがありません。ですから知恵は暗いところ、陰気なところを嫌います。そのような理由で、知恵を手に入れた者の心は清く、明るく、正しく、希望に満ちています。
Ⅱ.真珠よりまさる知恵(10-21)
知恵はすべての宝よりまさります。「銀を受けるよりも、私の懲らしめを受けよ。選り抜きの黄金よりも知識を(10)」お金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります(Ⅰテモ6:9)。
しかし知恵を得るものは分別を住みかとし、知識と思慮を得ようとします(12)。摂理と優れた知性を得て君主たちは正義を制定するようになります(14-16)。また、富と誉れを得るようになります(18)。知恵の実は黄金よりも純金よりも良く、その生み出すものは選り抜きの銀にまさります。ですから真珠より知恵の言葉を得なければなりません。この知恵は知恵を愛し、熱心に捜す者に与えられます(17)。

祈り:主よ!主に従いながら財産に恋々としたことを悔い改めます。私が純金より知恵を得るため闘争します。

一言:熱心に捜す者はわたしを見つける



2003年 05月 13日 (火)

箴言8:22-36
「知恵」はキリスト

Ⅰ.知恵の本質(22-31)
知恵者は知恵の本質が何であるかを明らかにします。知恵は果たしてどんな存在であり、どれだけ大切なものなので、人々が絶対的な姿勢で捜さなければならないのですか。「知恵」は神様が天地を造られる前に神様とともにおられました(22,23)。天地万物を造られる時もともにおられました。「私は神のかたわらで、これを組み立てる者であった。私は毎日喜び、いつも御前で楽しみ(30)」。
この知恵ははじめから神様とともにおられ、創造の御業を成し遂げられた神様の御子イエス・キリストを指します(ヨハ1:1-3)。ですからキリストは神様の知恵であり(Ⅰコリ1:24)、彼のうちすべての知恵と知識の宝物が隠されています(コロ2:3)。この知恵は人々とともに喜びます(31)。
Ⅱ.私を見いだす者は命を見いだし(32-36)
知恵の呼ぶ声を聞き、その道に聞き従う者は幸いです。日々訓戒を聞いて、知恵を得、心に書き記す者は幸いです。知恵、すなわちキリストを得る者は命を見いだし、主から恵みをいただくからです(35)。しかし知恵を失う者は自分の魂を失い、死に至るようになります(36)。ですから私たちは知恵の本質であるイエス・キリストを受け入れ、その御言葉に絶対的に聞き従わなければなりません。

祈り:主よ!罪人の私が神様の知恵の言葉を無視し、高ぶっていた罪を悔い改めます。これからは主の御言葉を慕い求め、絶対的な姿勢で聞き従います。

一言:神様の知恵イエスキリスト


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