聖書別日ごとの糧   >>   箴言[2017]

2017年 01月 31日 (火)

箴言1:1-7(7)
主を恐れよう

 主を恐れことは、知識の根本です。主を恐れることは、主を畏れる(敬意をもつ)ことです。主は創造主で、主権者として深く認め、何ごとにも主を意識して生きることです。すべての知識の初め、ということは全ての知識の中で最も重要な知識であり、必ず知るべき知識であるという意味です。箴言のすべての御言葉が教える究極的な教訓は、主を畏れるということです。優れた学識を誇っても、主を恐れないのなら、知識の初めを知らない人です。知識が多くなくても、主を畏れる人は一番重要な知識を知っている人です。主を畏れる時、知恵があるようになります。愚かさと禍とを避けて、いのちと賜物を得るようになります。

適用:知恵ある者になりたいですか?

一言:主を畏れよう



2017年 02月 01日 (水)

箴言1:8-33(20)
知恵の呼び声

  罪のない者を狙い、宝物を奪って家を満たそうと、悪者が主の子供を惑わします。家を満たすほどの宝物を得るためには長い時間汗を流しながら働かなければなりません。しかし、他人の物を悪い方法で奪い取ると簡単に素早く宝物を得られます。その誘惑はあまりにも甘いです。今も、他人を害し、他人のものを奪って自分の家を満たす人が多くいます。悪に走って行く足が、感心するほど早い者たちがいます。彼らは人々の目と法の網を潜り抜け、あらゆる不義を行います。それらを見ると、義の道を歩む人とまじめに汗を流し働いている人が愚かに見えます。しかし、知恵のある子はそのような悪者に従いません。他人を取ろうと網を張った者は、最終的にはその人自身がその網にかかるようになります。一見良さそうに見えても、滅んで命を失うことになります。
  知恵は、人格化します。知恵が路上で人々を呼び、広場で声を上げて叫びます。騒がしい町かどで叫び、多くの人が通る町の門の入口で語りかけます。これは、知恵が隠されたものではなく、誰でも簡単に会うことができ、聞くことができるものであることを意味します。また、知恵はある特定の場所でのみ得ることができるのではなく、日常の中でも簡単に会い、その声を聞くことができるということを意味します。知恵が積極的に人々を見つけていきます。それでも、すべての人々が知恵に会い、その声を聞くことはありません。愚かな者は愚かさが好きで知識を憎みます。知恵の声を聞かずに無視すると、災難が嵐のように臨みます。災いが臨んだ後は、後悔しても無駄です。知恵の声を聞こうとする者が聞くことができ、会おうとする者が会うことができます。ただ知恵の言葉を聞く者だけが平安で安全です。

適用:知恵の呼び声を聞きますか。

一言:知恵を聞く者


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