聖書別日ごとの糧   >>   箴言[2024]

2024年 04月 13日 (土)

箴言30:1-10(8)
アグルの二つのお願い

30章は、アグルがイティエルとウカルに告げたことばです。アグルは知恵ある者、賢者であり、神様の知恵を必死に求めた人でした。それでも、自分自身を知恵も学ばす、聖なる方の知識も持っていないと告白しています(3)。粗野で、人の分別がないとまで言います。アグルは、知恵が神様から出てくることを知っていました。天地万物を創造し、あらゆる法則を作り出したのは神様だからです(4)。それでも、アグルは神様の真理にたどり着けませんでした。彼は知恵を知ろうと、自身を徹底して低め、謙遜になりました。それは、神様のみことばに知恵があることを知っていたからです。神様のみことばは、すべて精錬されています。炉を通じて製錬された、かすや不純物が全くない純粋な状態です。完成され、製錬されたみことばの故に、何かを付け足す必要もありません。神様はご自分に身を避ける者の盾になられます。みことばが知恵を与え、責め、みことばを守るように助けてくれます。

 そのみことばを前にして、アグルは二つの事を一生のお願いとして求めます。最初は、「むなしいことと偽りとを遠ざけてください」という祈りです。みことばは純粋でも、人は偽る者です。人は一日に嘘を200回つくと言われています。嘘は意識せずとも出てきます。ダビデは主に正直であろうとしましたが、それでも神様の御前で罪をおかしてしまう自分を見てこのように祈りました。「私にきよい心を造ってください。」(詩51:10)。知恵があり、正しい者だったアグルが、御前で誠実であるように、偽りを遠ざけてほしいと祈ったのです。次は、「私に定められた分の食物で、私を養ってください」という祈りです。貧しすぎると盗みを働き、富みすぎると主を否み、神の御名を汚しかねないため、神様がふさわしい分量だけをくださるようにと祈ります。アグルは神様との関係を最優先にしました。主の御前で誠実であろうと霊的に戦い続けました。



祈り:主よ、私はどれくらい主に誠実であろうとしているでしょうか。主の御前で、きよく、正直であるように助けて下さい。

一言:正直であること、私に定められた分量



2024年 04月 14日 (日)

箴言30:11-33(15)
飽くことを知らない蛭

 自分の両親をあざける者(11,17)、自分をきよいとみる者(12)、目が高ぶっている者(13)、貧しい者を食い尽くす者(14)など、アグルは社会の非情さを語ります。自然の生き物から飽くことを知らないたとえを三つ四つ挙げます。蛭は貪欲の象徴です。蛭の二人の娘とは、蛭の身体にある二つの吸盤を指しています。蛭は吸盤から血を吸います。しかし血を吸っても、飽き足りず「くれ、くれ」と言い続けるのです。蛭とは満足しない人そのものです。飽くことのないよみ(生命を破壊し、食べつくす存在)、不妊の胎(命を宿そうとする強い欲望)、水に飽くことを知らない地と、「もう十分だ」と言わない火を指します。

 アグルはまた四つの獣を挙げます。それは小さくても、与えられたもので満足し、誠実で、知恵ある生き物です。蟻には、他の生き物からの攻撃に対抗するほどの力はありません。けれども、真面目で、知恵があり、冬に備えて夏のうちに食料を確保します。岩だぬきは動作が緩慢で、警戒心が薄く、太っているので、他の動物のえさとなることが多々あります。それでも岩だぬきが生き残れている知恵は何なのでしょうか。岩間に巣をつくり、敵の攻撃を避けていることです。いなごには、蟻や蜂のように女王蟻、女王蜂がいません。それでも群れを成して移動するとき、それは強い軍隊のように隊を組みます。それぞれが謙遜と犠牲を集結し、共同体を成しています。最後に、手で捕まえることもできるヤモリです。ヤモリは小さく、何もできませんが、知恵とウイットがあり、王宮に家を作り贅沢に暮らしています。私たち人も、小さく、力弱く、取るに足らない存在です。だから、地上に生きる小さな生き物から知恵を学ぶのです。アグルは29-30節で、何からも逃げない雄獅子、誇らしげに歩くおんどり、雄やぎ、王を挙げます。私たちも自分を王のような祭司として自覚し、威風堂々と歩み続けたいものです。



祈り:主よ、私があらゆるものから謙遜に学ぶべきことを悟ります。与えられているもので満足し、誠実であるように助けて下さい。

一言:主に満たされましょう


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