聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2006]

2006年 06月 09日 (金)

イザヤ書9:1-7
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる


Ⅰ.ガリラヤを栄光の地とされる神様(1-5)

 ゼブルンとナフタリの地はガリラヤの町です。ここは異邦との境にあたるため、絶えず戦争に苦しめられました。特に、アッシリヤの侵略の時は一番最初に捕虜として連れて行かれ、異邦の民族と混血になりました。これによって彼らはユダから蔑視を受けました。しかし神様はガリラヤを栄光の地とされました。キリストはガリラヤから福音の御業を始め、使徒たちも大部分がそこの出身です。

 今キリストが来られることで、やみの中を歩んでいた民が大きな光を見るようになり、死に苦しめられてきた者たちにいのちの光が照らすようになりました。また真の喜びと平和を受けるようになりました(3,5)。

Ⅱ.ひとりのみどりごをくださった神様(6,7)

 この全てのことが成し遂げられる理由は、神様が私たちにひとりのみどりごをくださったからです。みどりごの名前と、される御業は何でしょうか。第一に、無限の知恵でその民を助ける不思議な助言者です。第二に、天地を創造され、治められる全能の神様です。第三に、孤児のような人間を顧みられる永遠の父です。第四に、その肩に主権があり、公平と正義、愛と平和で永遠に治められる平和の王です。世の王は私たちを失望させ、挫折させ、怒りを引き起こします。しかし私たちの中にお生まれになったみどりごは、私たちのためにいのちを捨てた愛の王、真理の王です。この王だけが私たちを治めるのにふさわしい方です。


祈り:主よ!イエス様の美しい御名を賛美します。イエス様の中で救いと喜びと自由と平和を受けさせてくださり感謝します。

一言:平和の王



2006年 06月 10日 (土)

イザヤ書9:8-10:4
御怒りは去らず


Ⅰ.根拠のない楽観主義に陥る(8-12)

 神様は多くの主のしもべたちを通して、北イスラエルに御言葉を送りました。しかし彼らは御言葉に耳を傾けず、傲慢で、かたくなな心で言いました。「れんがが落ちたから、切り石で建て直そう。いちじく桑の木が切り倒されたから、杉の木でこれに代えよう。」(10)。彼らは根拠のない楽観主義に陥り、神様の警告を無視しました。神様はその敵をあおりたてて、傲慢な彼らを飲み込まれます。

Ⅱ.悔い改めない(13-10:4)

 神様がイスラエルを打たれる目的は、彼らが悔い改め神様に立ち返らせるためでした。しかし彼らは霊的な悟りがなく、神様を探そうともしませんでした。彼らはいつも咎められても、悔い改めず、うなじをこわばらせました。彼らは不義の法令を頒布し、貧しい者に不公平な判決を下しました。弱い者たちからかすめ取りました。これによって神様はひどく怒られ、彼らを罰せられます(12,17,21)。その時は誰にも助けを求めることができません。神様の怒りは恐ろしいものです。神様は、罪を悔い改めなければ、必ずさばかれる正しい方です。ある人は恵みの神様だけを受け入れ、正義とさばきの神様は拒みます。しかし正義がなければ、恵みもありません。私たちは自分の罪に対して怒られる神様を恐れ、罪を悔い改める生活に熱心でなければなりません。


祈り:主よ!私が罪に対して怒られるさばきの神様を恐れ、災いが臨む前に悔い改めることができるように、助けてください。

一言:怒られる神様


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