2006年 07月 01日 (土)
ダビデの家とかぎ
Ⅰ.「飲めよ。食らえよ。どうせ、あすは死ぬのだから。」(1-14)
本文の幻の谷はエルサレムを指します。神様の民の町エルサレムさえも、異邦人たちによって徹底的にふみにじられ、蹂躙されることはあまりにも悲しいことです。エルサレムが、なぜこのようになったのでしょうか。これは、第一に、神様を慕い、恐れ敬わなかったからです(11b)。第二に、最後まで悔い改めずに世の快楽を楽しんだからです(13)。彼らは神様のさばきが警告された時、自分たちの罪によって嘆き悲しまなければなりませんでしたが、むしろ世の快楽を楽しむのに余念がありませんでした。あすは死ぬのだから、飲み食いしようと言いました。
しかし死が人生の終わりではありません。死んだ後には必ずさばきがあります(14,ヘブ9:27)。死が臨む前に、神様を恐れ敬うことを学ばなければなりません。
Ⅱ.ダビデの家のかぎを彼の肩に置く(15-25)
神様はこのような中でも、エルサレムに対する望みを断ち切らずに、エルヤキムを立てようとされます。このエルヤキムについての預言は将来来るキリストに関するものです(黙3:7)。
キリストは神様の民の父となられ、ダビデの家のかぎを持った方です(21)。キリストはダビデの家のかぎを持った方として、どんな問題も解決してくださいます。またキリストによらずして、神様に行くことはできません。キリストの王権は、釘が固いセメントの壁に打ち込まれたように堅く、永遠のものです。
祈り:主よ!私がダビデの家のかぎを持ったキリストに出て行きます。キリストはどんな人生の問題も解決してくださることを信じます。
一言:キリストだけが人生問題の解決者になる
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