聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2006]

2006年 08月 14日 (月)

イザヤ書51:1-23
このわたしがあなたがたを慰める


Ⅰ.アブラハムとサラのことを考えてみよ(1-8)

 イスラエルの民は神様がどのようにして荒れ果てたシオンを回復することができるのかと考え、その力を疑いました。彼らは、神様といえどもシオンを慰めることはできない、と思いました。しかし神様は、アブラハムとサラのことを考えてみよ、と言われます(2)。神様が孤独な身の上のアブラハムを祝福し繁栄させたように、今廃墟と砂漠のようなシオンをエドンの園のようにすることがおできになるのです(3)。それだけではなく、神様の公義を国々の民の光とし、神様の救いを世に至らせます。

 神様はどんな絶望的な状況の中でも、私たちを救い、祝福することができる方です。私たちは苦難の時、神様の恵みと力ある御業を覚え、信仰を持たなければなりません。

Ⅱ.なぜ死ななければならない人を恐れるのか(7-23)

 シオンを慰める方は神様だけなのに、彼らは死ななければならない人間や草にも等しい人の子を恐れました(12)。天と地と彼らを造られた創造主神様を忘れてしまい、憤る虐待者だけを恐れました。このように神様の慰めを受けない者は人を恐れるようになります。苦難の時に人の慰めは何の助けにもなりません。天を引き延べ、地の基を定め、人を造られた神様だけが、本当に頼るべきところであり、慰めとなります(12)。主の慰めを受ける者は人を恐れず、本当の平和と喜びを受けるようになります。


祈り:主よ!神様の力を疑い、人を恐れていたことを悔い改め、この時間主の慰めを受けようと出て行きます。

一言:主だけが慰めることができる


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