聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2017]

2017年 12月 04日 (月)

イザヤ書 22:1-25(14)
この罪は死ぬまでは決して赦されない

 ユダヤ人がバビロンに捕え移された時、彼らは敵と戦いませんでした。むしろ、わずかな食べ物のために、互いに奪い合い殺し合いました。そして、王はすきを見て逃げましたが、途中で捕えられて、バビロンに捕え移されました。彼らは食べ物や自分のことしか考えていませんでした。本来、エルサレムは主からの幻を受け取る地です。その幻を見て、主の御前にひれ伏す場所です。それなのに、世の楽しみに心引き寄せられ、エルサレムの町のこと、ユダの国のこと、そして神様のことを考えずに、自分のことしか考えませんでした。
 さらに、彼らは自分たちが拠り頼んでいた武器や城壁が役に立たなくなると、 「飲めよ。食らえよ。どうせ、あすは死ぬのだから。」と分別なく快楽主義に耽りました(Ⅰコリント15:32)。そんな物質への執着に対する特効薬は何でしょうか。その物質を取り除くことです。主は、彼らが持っているものを少しずつ削いでゆかれましたが、それでも彼らは最後の最後まで物質にしがみつきました。こうなると、最後は、滅ぼすしかありません。神様は、バビロン捕囚によって、 彼らの罪を裁かれました。エルサレムの住民の多くが死ぬまで、主はそのままにされるしか方法がありませんでした。では、私たちはどうでしょうか。神様は悔い改めた者は赦されますが、悔い改めない者は死ぬまで裁かれます。悔い改めるのが生きる道です。

適用: 飲み食いしていますか

一言: 泣き悲しみなさい


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