聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 03月 29日 (火)

イザヤ書3:1-15(14)
主は裁きの座に入られる

 神様はエルサレムとユダから、支えと頼みになるものすべてを取り除かれます。それはすべてのパンと水、勇士と戦士、裁き人と予言者、占い師と長老、五十人隊の長、身分の高いもの、助言者と賢い細工人、巧みにまじないをかける者等です。彼らは、当時社会を率いる指導者たちでした。神様は彼らを取り除き、代わりに若者たちを君主とし、気まぐれな者たちを立てられます。無能な指導者の統治によって社会は大変な混乱と無秩序の中に陥って行きます。民は誰でも捕らえて自分を治めてくれる指導者として立てようとしますが、誰一人指導者になろうとしません。結局エルサレムは滅亡してしまい、ユダは倒れてしまいました。このような状態に至った根本的な理由は何でしょうか。彼らの舌(言葉)と行いが主に背き、神様の栄光の現われに逆らったからでした。ユダの滅亡は、神様に逆らって偶像を拝んだことによってもたらされました。

 神様は、ご自分に逆らった悪しき者の民たちを裁くために立たれるとき、最初に、長老たちや高官たちに注目されます。彼らに向かって「あなたがたは、ぶどう畑を荒れすたらせた。貧しい者からかすめた物が自分たちの家にある。なぜ、あなたがたは、我が民を砕き、貧しい者の顔を臼ですりつぶすのか。」と尋問されます。神様は彼らに対して、ぶどう畑を荒れすたらせた者だと責められます。ここで、「ぶどう畑」とは、イスラエルのことを指します。神様は彼らに美しくて肥沃なぶどう畑を任せて下さいました。しかし彼らはぶどう畑を良く耕して経営する代わりに、荒れすたらせました。指導者の権威と力で民を虐げ、貧しい者の顔を臼ですりつぶしました。神様は裁きの日、一番に指導者に責任を問われます。霊的指導者になるということは、霊的指導者になるというのは、大きな特権であると同時に、大きな責任が伴います。



適用:指導者の責任を良く担っていますか

一言:さばくために立たれる



2022年 03月 30日 (水)

イザヤ書3:16-4:6(4)
さばきの霊と焼き尽くす霊によって汚れを洗い落とし

 シオンの娘たちはその時代を抱いて祈るべき霊的な母たちでした。しかし高ぶって、首を伸ばし、色目を使って歩き、足に鈴を鳴らしながら小股で歩きました。これは兄弟たちを誘惑するためでした。主は、シオンの娘たちの頭の頂をかさぶたで覆い、恥辱を受けるようにされます。その日、彼らが誇っていたもろもろの飾りは取り除かれ芳香は悪臭となります。それだけではありません。彼らが心に抱いて恋愛していた男たちは剣に、勇士たちは戦いに倒れます。それで七人の女が一人の男にすがりつくようになります(4:1)。神様は自ら誇り、望んでいたことを砕かれます。

 その日はむごたらしい裁きの日でありながらも、同時に救いと回復の日でもあります。その日には主の若枝は麗しくなり、栄光となります。若枝は新しい命を象徴しています。戦乱が通り過ぎたとき、シオンに残った者がいます。彼らは神様が残してくださった者たちです。彼らは聖なるものと呼ばれるようになります。これは主が裁きの霊と焼き尽くす霊によってシオンの娘たちの汚れを洗い落とし、エルサレムの血をその町の中から洗い流されるからです。神様は彼らを洗い流して清めるだけでなく、彼らとともにおられながら保護してくださいます(4:5,6)。世が人間の罪のゆえに荒廃しても、神様はご自分の栄光のために、残りの者たちを立ててくださり、聖霊によって清くしてくださいます。ご自分の民とともにおられ、守り導いてくださいます。この神様の摂理と神様の働きを考えるとき、暗いこの時代にも大きな希望があります。



適用:清くなりましたか

一言:残りの者


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