聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 03月 31日 (木)

イザヤ書5:1-7(4)
なぜ、酸いぶどうができたのか

 主は麗しいぶどう園を造りました。よく肥えた山腹を掘り起こし、石を除いて良いぶどうを植えました。獣や盗人を防ぐために、やぐらも立てました。良いぶどうの実を結ぶのに必要なすべてのことを整えました。そして、良いぶどうがなるのを待ちました。ところが、期待とは違って、食べられない酸いぶどうができてしまいました。主は嘆かれ、「なぜ、甘いぶどうがなるのを心待ちにしていたのに、酸いぶどうができたのか!」「どうしてこのようなことがあろうか」と大変失望されました。神様は、心待ちしていたものと違う酸いぶどうが実ったぶどう園を裁こうとされます。その垣を取り払って荒れ廃れるままにされます。石垣を崩して踏みつけられるままにされ、茨やおどろが生い茂るようにされます。

 ここで、ぶどう園はイスラエルを意味します。神様はイスラエルを良く養い保護してくださいました。彼らが良い実を結んで全世界の人々の中で神様の栄光を現わすことを願われました。公正と正義を行って、神様の統治を実現することを願われました。しかし、イスラエルはそうしませんでした。彼らは今、流血と悲鳴に満ちています。悪い実だけをいっぱい結んでいます。神様はこのようなイスラエルを厳しく裁かれます。

 神様は、私たちを真のぶどうの木であるイエス様にとどまる枝とされました(ヨハネ15:5)。神様は私たちが最上の実を結ぶためにすべてのことを準備してくださり、心待ちにしておられます。聖霊の良い実を結ぶことを心待ちにしておられます(ガラテヤ5:22,23)。30倍,60倍,100倍の御言葉の実を心待ちにしておられます。善い行いの実を心待ちにしておられます(マタイ5:16)。さらには、福音伝道の実を心待ちにしておられます(マルコ16:15,16)。私たちが多くの実を結び、イエスさまの弟子となることによって、父なる神様が栄光をお受けになるのです。(ヨハネ15:8)



適用:どんな実を結んでいますか

一言:良い実を結びましょう



2022年 04月 01日 (金)

イザヤ書 5:8-30(24b)
聖なる方のことばを侮ったからだ

 本文には6回も「わざわいだ」という言葉がでてきます。どのような者たちがわざわいなのかを教えてくれます。一つ目は、家に家を連ね、畑に畑を隣り合わせ、地を独り占めして自分たちだけで住もうとし、貧しい人たちの家と畑を奪い取り、お金持ちになった貪欲な者たちです。しかし、主の裁きによって、必ず多くの家は荒れすだれ、大きな美しい家々も住む者がいなくなります。二つ目は、朝早くから強い酒を追い求め、夜が更けるまで、酒に身を委ねる者たちです。彼らは道楽に溺れ、そのため、民たちは飢え、渇きで干からびます。それゆえ、よみは喉を広げ、果てしなく口を開け、エルサレムの威光も、歓声も、よみに落ち込みます。三つ目は、嘘で綱を編むようなことをして咎と罪を引き寄せる者たちです。彼らは神様を信じず、嘲ることさえします(19)。真実な神様は嘘と不信仰を忌み嫌われます。四つ目は、悪を善、善を悪と言う者たちで、善悪の区別が分からなくなっている人たちです。神様から離れているので、何が正しいのかが分からなくなっています。五つ目は、自分を知恵のある者と見なし、自分を悟りのある者と思い込む者たちです。知恵は神様によるものです。どんな人も神様の御前では謙遜でなければなりません。六つ目は、酒を飲むことにかける勇士、強い酒を混ぜ合わせる者たちです。罪を正当化し、勝手に善悪を自分の都合で決めています。

 彼らはなぜこのようなわざわいの者になったのでしょうか。それは、彼らが万軍の主のおしえをないがしろにし、イスラエルの聖なる方のことばを侮ったからです。主の御言葉を捨てて侮ったとき、彼らは罪と悪のうちに落とされ、裁きを受けなければなりません。神様の御言葉は正しい道へと導き入れます。行うべきことを教えてくれます。主の御言葉は、私たちの前を照らすともしび、道の光となります。御言葉から離れたとき、私たちにやってくるのは滅びの道のみです。御言葉を愛し、昼も夜も口ずさみ、聞き従う道こそ、祝福の道です。



適用:祝福の人生を生きたいと思っていますか

一言:御言葉を愛し、御言葉に聞き従う


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