聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 04月 02日 (土)

イザヤ書 6:1-13(8)
だれが、われわれのために行くだろうか

 ウジヤ王が死んだ年に、イザヤは神殿で主を見ました。主のみおしえを蔑ろにし、罪に走ったイスラエルの堕落は非常に深刻なものでした。王が死に、国は混乱を極め、国際情勢は急変しました。このような時、主はイザヤに、高く上げられた御座に着いておられる御姿で現れました。王が死んでも、世の中が混乱を極めていても、主は変わらず、導いてくださいます。イザヤは、万軍の王・聖なる主を見たとき、くちびるの汚れた自分は滅びるしかないと恐れました。そんな彼の口に、セラフィムの一人が祭壇の上から取った燃えさがる炭を触れさせました。これによってイザヤの咎は取り除かれ、罪も赦されました。

そしてイザヤは、主の御声を聞きました。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」滅亡の道を歩んでいたイスラエルを、神様はなんとかして立ち返らせたいと思っておられました。しかし、働き手はたくさん必要でしたが、実際の働く手は少なかったのです。罪の中をさ迷っている民を愛しておられる神様は、彼らを救いの道に導くために、切なる御心をもって、働き手を呼んでおられます。

 これにイザヤは答えました。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」イザヤはまだ若い青年にすぎませんでした。しかし、この神様の切なる御心を思うとき、答えずにはいられませんでした。若くても、遣わされたいと願い決断しました。決断したイザヤは、これから多くの苦難を覚悟しなければなりません。自分達の目で見ても、自分達の耳で聞いても、心で悟らない民たちに、主のみことばを伝えることは、どれほど大変なことでしょうか。しかし、聖なる切り株は必ず残されます。この信仰をもって、みことばを宣べ伝えなければなりません。このために、今日も、遣わすしもべを呼んでおられます。「だれをわたしは、遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか」。この主の呼びかけに、どう答えますか。



適用:主の御声が聞こえますか

一言:私を遣わしてください


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