聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 04月 05日 (火)

イザヤ書 9:1-7(2)
大きな光を見る

 苦しみと闇の中を歩み、辱めを受け、死の陰の地に住んでいた者たちがいました(1,2)。彼らには、刈り入れ時のような喜び、分捕り物を分ける時のような楽しみがありませんでした(3)。すなわち、労苦に相応する対価を得られずにいたのです。種を蒔き、汗をかけば、収穫の喜びがあります。命をかけて戦うと、分捕り物を得ます。収穫の喜びを得るために、農夫は一所懸命汗を流します。しかし、刈り入れ時に収穫するものがないとどうなりますか。農夫は失望し、生きる喜びさえ失います。それでは、なぜイスラエルは労苦の対価が得られなかったのでしょうか。その喜びを打ち砕く者がいたからでした(4)。その人たちはイスラエルにくびきを負わせ、鞭で追い立てました。そして、イスラエルの代わりに収穫の喜びを得ていました。これが、主から離れたイスラエルの姿でした。主である神様から離れた人生には、労苦の対価がありません。ルカの福音書15章の放蕩息子の例えを見ればわかります。罪と欲による様々な問題でさ迷う人の人生は、収穫の喜びが得られません。若さも力も美しさも奪われ、やがて捨てられるのです。

 後に、闇の中を歩んでいた民は大きな光を見ます。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝きます(2)。この光はキリスト・イエスです。イエス様は、私たちに刈り入れ時の喜びを、分捕り物を分ける時の楽しみを与えてくださいます(3)。人生の収穫の実を結ばせてくださいます。イエス様は私たちの労苦の対価以上に豊かに与えてくださいます。このイエス様の中には救いといのち、愛と感謝が溢れています。だからこのイエス様を信じる者は、豊かになり、平和は限りなく、さばきと正義によって堅く立てられます。サタンは私たちを闇の中に追い立てようとしますが、大きな光であるイエス様は、私たちをそのサタンの手から救い出し、光の中で歩ませてくださいます。万軍の主の熱心が、この救いの御わざを成し遂げてくださいます。



適用:闇の中を歩んでいますか

一言:光が輝く



2022年 04月 06日 (水)

イザヤ書 9:8-10:4(17)
高ぶり、思い上がる者の最後

 ユダの罪は、神様だけが主であること、神様だけが飼い主、羊飼いであることを知らない、悟らないことでした(1:3,4)。こんな彼らに神様は、御言葉を与え、また裁きのしるしを下らせました(8)。しかし、彼らはそれを知りながらも、高ぶり、思い上って「れんがが落ちたから、切り石で建て直そう。いちじく桑の木が切り倒されたから、杉の木でこれに代えよう。」(10)と言いました。神様に木を切り倒されたから、自分たちがもっと丈夫な石で建て直そうと言っているのです。彼らは神様のさばきを恐れませんでした。打たれたらもっと良いものにすればいいと高ぶり、思い上っていました。滅びる寸前なのに、悟りませんでした。しかし、神様の御手が伸ばされる前に悔い改めなければなりません。それを悟らずにいると、神様は四方から敵たちをのし上がらせ、東から西から、その口いっぱいにイスラエルを食らうようにさせます。

 ところが、イスラエルは自分を打った方に帰らず、万軍の主を求めませんでした(13)。特にイスラエルを導くべき民のかしらたち、すなわち長老や身分の高い者、偽預言者たちは、民たちを迷わしました。彼らは神様によって断ち切られます。神を敬わず、悪を行い、愚かなことを語り、悪が火のように燃えさかる民たちへの神の御怒りは収まりません(17)。万軍の主の激しい怒りによって、地は焼かれ、民は火の餌食のようになります。自分の肉を食らい、自分の兄弟の肉にかぶりつく無残な悲劇が起こります(18-21)。これはイスラエルの歴史の中で、下剋上と骨肉の争いとして現れました。悔い改めるべき時に悔い改めなければ、このような悲劇が起こります。逃げ場もなければ、助けを求めるところもありません。彼らの栄華は、虚しく一日のうちに崩れ去ります。滅びるのです。速やかに悔い改めるべきです。



適用:主の御怒りから逃れようとしていますか

一言:謙遜に悔い改めるべし


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