聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 04月 08日 (金)

イザヤ書 11:1-16 (10)
イエス様がもろもろの民の旗として

 11章は、残りの者を通して成し遂げられる新しいみわざです(11)。主はエッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶと言われました(1,10)。なぜダビデの根株ではなく、エッサイの根株と言われたのでしょうか。それは、民たちがダビデとダビデの栄華を誇っていたからでした。彼らはメシヤさえもダビデの子孫だと言っていました。しかし、ダビデ王の家は没落しました。バビロン捕虜時代以降は、ダビデの子孫が王になることはありませんでした。ダビデとダビデ王の家を誇っていたイスラエルの高ぶりを切り捨てたのです。主はダビデが偶像とならないように、ダビデによる民の高慢の根を切りました。

 主はダビデ以前のエッサイに遡り、エッサイから新芽を生えさせました。ダビデもエッサイから出た芽でしたが、その芽は古枝となりました。そこで、新しい芽を生えさせたのです。エッサイの根株から生えた新しい芽は、イエス・キリストです。ダビデ王の家の子孫たちは主を離れ、主の霊も、彼らから離れました。しかし、新芽であるイエス様の上には主の霊がとどまります。知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊がとどまります(2)。イエス様は主を恐れることを喜びとします。正義、公正、真実をもって世を裁き、悪を滅ぼします。6-9節は、イエス様によって立てられる神の御国の形です。その特徴は害を加えず、滅ぼさないことです。主を恐れ敬わなかったダビデ王の家は、人を中心としてものごとを考え、高慢になり、害を加え、滅ぼすことが多くありました。しかし、イエス様に治められる時、害も滅びもありません。なぜなら、主を知ることが海をおおう水のように地に満ちるからです。その日になると、イエスさまはもろもろの民の旗として立ち、国々はイエス様を求め、イエス様のとどまるところは栄光に輝きます。そして、その日、ご自分の民の残りの者を集められます。



適用:イエス様を主として信じますか

一言:主のところに集まろう


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