聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 07月 31日 (日)

イザヤ書32:1-20(1)
一人の王が義によって治める

見よ。一人の王が義によって治め、首長たちは公正によって支配します。義と公正によってさばくので、彼らは風を避ける避け所、嵐を避ける隠れ場のようになり、砂漠にある水の流れ、乾ききった地にある、大きな岩の陰のような王になります。統治者としての彼の目は堅く閉じることがなく、民たちの話を注意深く聞きます。彼は指導者として、愚かな者、ならず者、高貴な者を良く見分けます。愚かな者は愚かなことを語って、心で不法を企み、不敬虔なことを行って、主に向かって迷いごとを語ります。飢えている者を飢えさせて、渇いている者に飲み物を与えません。ならず者は悪事を企み、偽りを語って苦しむ者を滅ぼします。指導者がするべきことは、このような、ならず者の愚かさと悪事を見分け、警戒することです。指導者が義によって善と悪を判別してさばくなら、共同体は堅く立ちます。

安逸を貪る女たち、うぬぼれている娘たちは高ぶって首を伸ばし、色目を使って歩き、足に鈴を鳴らしながら小股で歩くエルサレムの女たちのことと言えます(イザヤ3:16-4:1)。一年と少しの日がたつと、彼らはわななきます。ぶどうの収穫がなくなり、その取り入れもやって来ないからです。これは一年後に起こるセンナケリブからの侵攻を意味しますが、アッシリア軍隊の度重なる破壊により、ぶどう園は荒れ果ててしまいます。彼らはこれにより震え、恐れ、深い悲しみに包まれます。以前の良いぶどう園を思い出しながら胸をたたいて嘆き悲しみます。ユダの地にはとげと茨が出て宮殿は見捨てられ、町の騒ぎもさびれ、オフェルと見張りの塔は、いつまでも荒れ野になります。しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになります。その時、イスラエルは義と公正の社会になり平和と安らかな憩いの場となるでしょう。今は、ユダは罪によって滅ぼされることになりますが、将来には、義と正義の王が臨まれ平和の国となります。イエス様が来られる時、義と正義によって治めるようになります。(イザヤ9:6)



適用:キリストはどんな方ですか

一言:乾ききった地にある、大きな岩の陰


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