聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 09月 30日 (金)

イザヤ書37:1-38(20)
あなただけが主

 ヒゼキヤ王は、主を嘲笑するラブ・シャケの言葉を聞いて、ひどく悲しみました。一方、アッシリアの王センナケリブは、使いを再びヒゼキヤのところに送りました。ヒゼキヤは、嘲笑と冒瀆が記録された手紙を使者から受け取り、主の宮に上って行きました。そして、その手紙を主の御前に開いて、祈りました。ヒゼキヤはまず、主は天と地とすべての王国において、唯一の神様であられると告白しました。天と地を造られた、生ける造り主であると告白しました。彼は、神様の御名が冒瀆されることを、何よりも辛く思いました。アッシリアの王たちが国々を征服し、その神々を火に投げ込んだのは事実です。しかし、その神々は本当の神ではなく、人の手で作られた偶像でしかありませんでした。アッシリアは、主なる神様もそのような偶像の一つでしかないと考えました。しかし、主なる神様は、唯一の本当の神様、万軍の主です。

ヒゼキヤは、アッシリア王の手から自分たちが救い出されることで、地の全ての王国が、主だけが神様であることを認め、主にひざまずくことを願いました。これはまた、私たちの望みでもあります。イエス様は、主の御名が聖なるものとされるように祈りなさいと言われました(ルカ11:2)。今日、主なる神様の御名が無視され、侮辱される時が多くあります。聖書の神様を他の偶像の神々と同じレベルにまで引き下げて語る人たちが多くいます。私たちは、ヒゼキヤの心で、祈るべきです。地の全ての国々が、ただ主だけが神様であることを知るように、祈っていきましょう。主を冒涜したセンナケリブはどうなったでしょうか。神様の御言葉どおりに(7)、彼は主によって大敗し、ニネベに逃げ帰りました。そして、その息子たちの剣によって殺されました(38)。主を冒涜する者の最期は悲惨です。主だけが神様です。



祈り:私の救いの体験を通して、ただ主だけが神であることを人々が知り、主の御名が聖なるものとされますように祈ります。

一言:主だけが神様であることを知らせることです


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