2022年 10月 01日 (土)
ああ、主よ
ヒゼキヤは、死の病にかかりました。イザヤは彼に、「あなたは死ぬ。治らない。」と主の御言葉を伝えました。当時、ヒゼキヤは中年で(10)、やるべきことがまだ多くありました。今、その全てのものを後において、世を離れて行かなければなりませんでした。彼は、顔を壁に向け、主に祈りました(3)。顔を壁に向けたとは、ただ、主なる神様だけを仰ぎ見る、という意味です。彼は、ひどく泣き叫びました。「ああ、主よ、どうか思い出してください。私が、真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたの御目にかなうことを行ってきたことを。」彼がこの祈りをしたのは、若くして死ぬのが悔しいからではありませんでした。彼は、神様のためにしようとしたことを、成し遂げたいと思っていました。エルサレムの町をアッシリア王の手から守ろうとしました。そのため、いのちの主である神様に祈りました。ヒゼキヤは、祈りの答えを神様にゆだね、ただひたすら祈りました。寿命を延ばしてほしいと祈りました(5)。
私たちは、理性と経験に基づいて不可能だと判断すると、祈らずに放棄してしまうことが多くあります。祈りの限界を自分で決めてしまいます。しかし、神様には限界がありません。人間の理性と経験を超えた神様を信じるなら、限界に縛られずに祈ることができます。神様は、ヒゼキヤの涙の祈りを聞いてくださいました。ヒゼキヤの寿命に、もう十五年加えてくださいました。神様が望まれるなら、私たちには不可能に見えるような祈りであっても、答えてくださいます。
祈り:主よ、私が祈りの限界を自分で決めていたことを悔い改めます。私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行なわれる神様を信じて祈るように助けてください。
一言:私の祈りを聞いてくださる
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