聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 10月 02日 (日)

イザヤ書39:1-8(8)
主のことばはありがたい

バビロンの王が、ヒゼキヤの病気が治ったことを聞いて使者を遣わし、手紙と贈り物を届けさせました。この頃のバビロンはまだ新興国でしたが、ヒゼキヤと同盟を結んでアッシリアに対抗しようと考えたのです。ヒゼキヤは、バビロンの人々を喜んで迎え、一切の武器庫、宝物倉にあるすべての物を見せました。宮中の所有物と国中の全てのもので、見せなかったものは一つもありませんでした。ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みに応えず、心が高ぶっていました(Ⅱ歴代32:25)。神様の恵みによって、寿命を延ばしてもらったのですから、不治の病までも癒される神の御業を証しすべきでした。しかし、彼は自分を特別な人だと勘違いし、自分の業績や権力を誇りました。人がつまずくのは、苦難の時ではなく、祝福の時です。神様の祝福は、それを担えない者には災いとなります。祝福の時こそ、もっと目を覚まして謙遜でいなければなりません。

イザヤはヒゼキヤに、主の恐ろしい御言葉を伝えました。時になると、彼の全ての所有がバビロンに移され、何一つ残らなくなるというのです。また、ヒゼキヤの息子たちの中から、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官になる者がいるというのです。考えるだけでも、耐え難い悲劇です。しかし、ヒゼキヤは謙遜にその御言葉を受け入れました(Ⅱ歴代32:26)。自分の高ぶりこそが、ユダに取り返しのつかない結果を招いた原因であると分かり、再びへりくだりました。それで、主の怒りはヒゼキヤの時代には臨みませんでした。「自分が生きている間は平和と安全があるだろう、と思った(8)」とは、ヒゼキヤの悔い改めを主が受け入れ、神様のさばきが後の時代に延ばされたことをヒゼキヤが悟った、ということです。Ⅱ歴代誌32:33を見ると、ヒゼキヤが栄光のうちに死ぬことを許されたことが分かります。それは、彼が何歳になっても自分の過ちや失敗から教訓を学び、主のみこころにかなった歩みをしたからです。



祈り:主よ、私も間違ったり失敗したりすることがあります。そんな時、謙遜に主のことばを受け入れ、自分のあやまちを認めるように助けてください。

一言:主のことばはありがたい


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