聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 10月 03日 (月)

イザヤ書40:1-31(9)
良い知らせ

40-55章は、イスラエルの民が捕囚となっていた時期と捕囚から解放される前後の時期を背景に書かれています。イスラエルは滅び、捕虜として連れて行かれ、遠い国で労役に苦しめられます(2)。イスラエルにとって、非常に暗い時期でした。辛く、悔しい思いをした時は、暖かい慰めと望みを切に求めたくなりますが、現実は冷たく厳しいです。しかし、人々に踏みにじられ、引き裂かれたイスラエルの民を、神様は、「わたしの民」と呼んでくださいます(1)。そして「慰めよ、慰めよ」と宣布されます。慰めは、苦しみを払いのけて、悲しみを軽減させます。神様は、ご自分の民が苦しみを受ける時、その苦しみを共に受ける方であります。子どもが大きな罪を犯した時、その子を叱りながらも共に苦しむ父親、その子を救い出す方法を誰よりも本気になって考える父なる神様です。イスラエルを慰めてくださる方は、ただ神様お一人です。神様の慰めによって、イスラエルは苦役から抜け出し、神様の民として回復されます。

 草はしおれ、花は散るように、人生の栄光もむなしく消え去りますが、神様の御言葉は永遠に立ち、この世を照らします(6-8)。神様の御言葉は真理の御言葉であり、必ず成就します。神様の慰めは、良い知らせです。神様が来られることは、良い知らせです。永遠の神様の御言葉も、良い知らせです。この良い知らせを伝える者は、全ての人々が聞くように、力の限り伝えなければなりません。「見よ。あなたがたの神を」(Here is your God!)。罪と咎だらけの私を、「わたしの民」と呼ばれる神様が、私の神様です。私を慰めてくださる方が、私の神様です。私を尋ねて来られ、永遠の御言葉をくださる方が、私の神様です。



祈り:どんな状況の中にあっても、他のものに目を奪われず、私の神様だけを仰ぎ見るように、主よ、助けてください。

一言:神様が慰めてくださいます


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