聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 11月 25日 (金)

イザヤ書52:1-12(7)
良い知らせ

 エルサレムと神殿は、無割礼の異邦人によって破壊されました。そのため、イスラエルの民は落胆と絶望の中で苦しんでいました。預言者はそんな彼らに向かって叫びます。「目覚めよ、目覚めよ。力をまとえ。」イスラエルは神様を離れて偶像に走ったので、選ばれた民としてのすべての栄誉を失い、奴隷に転落してしまいました。しかし、神様が買い戻してくださると、自由の身になります。神様が彼らを支えてくださると、以前の栄誉を取り戻すことができます。主の時になると、エルサレムの民たちは、バビロンの支配から自由になったという喜びの知らせを持って走ってくる足を見るようになります。その光景を見た人々はこう言います。「良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、『あなたの神が王であられる』とシオンに言う人の足は。(7)」

エルサレムの現状は破壊と廃墟ですが、神様の民たる者は、神様が治めることによって成される素晴らしい御業を見るべきです。神様が私たちの罪を赦して治めてくださることによって、私たちの人生は回復されます。新しい希望に溢れる歴史が始まります。それゆえ、イスラエルは絶望と挫折の座から立ち上がり、救いと希望を喜び歌わなければなりません。そして、イスラエルはバビロンを去らなければなりません。汚れたものに触れず、身をきよめなければなりません。神様は聖なるお方です。神様に治められるためには、罪を悔い改めてきよめられなければなりません。悔い改めてイエス・キリストの血潮によってきよめられる時、神様は私たちの王となられて治めてくださいます。



祈り:主よ、良い知らせを聞かせてくださり感謝します。主なる神さまが私の王であられるので、今日も主の平和と幸いのうちに歩みます。

一言:神様が王として私を治めて下さる



2022年 11月 26日 (土)

イザヤ書52:13-53:12(53:11)
多くの人を義とし、咎を負う

本文は、苦難を受けるしもべ、イエス・キリストに関する御言葉です。イエス様のキリストとしての姿と救い主としての働きについて預言しています。

イエス様は、私達の身代わりとなって苦難を受けられました。イエス様は、神様の御子であられましたが、この世に来られる時、貧しい大工の息子として来られ、しかも家畜用の飼い葉おけに寝かされるようなみすぼらしい場所でお生まれになりました。社会的に認められるようなものは、何一つもありませんでした。2節の預言のとおりに、「彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない」人となりました。人々はこのようなイエス様を蔑み、のけ者にし、十字架に釘付けにしました。彼は刺し通され、砕かれました。懲らしめられ、鞭に打たれました。彼は、なぜこのような苦難を受けるのでしょうか。何か大きな過ちでも犯したからでしょうか。いいえ。私たちの咎のためです。私達の背きの罪のためです。私達に平安をもたらすためです。私達に癒しをもたらすためです。私たちを義とするためです。義とされるとは、神様の基準で正しいとされることです。義人は、罪を一度も犯したことがない全き人のように、何の負い目もなく、堂々と神様の前に立つことができるのです。イエス様は、苦難を通して私達の身分を罪人から義人に変えて下さいました。このイエス様による救いの恵みは、イエス様の成して下さったことを信じることによって、初めて受け取ることができます。イエス様による救いと癒しと平安は、自分の行いによってではなく、信仰によって受け取るものです。



祈り:私の罪と咎のために苦難を受けられた主イエスの恵みを、自分の善い行いで受け取ろうとしていたことを悔い改めます。ただ信仰によって受け取ります。私を義としてくださり、感謝します。

一言:私の罪と咎のため


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