聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 11月 28日 (月)

イザヤ書 55:1-13(1)
出て来るがよい

 イスラエルの民に向けた主の招きは、どんな招きしょうか。主は、渇いている者はみな水を求めて出て来るがよい、とおっしゃいます。金を払わないで穀物を買い、代価を払わないでぶどう酒と乳を買えと命じられます。イスラエルが捕虜として住んでいたバビロンでは、乳とぶどう酒はとても高価なものでした。貧しかったイスラエルの民たちは、高くて買えませんでした。ところが、主は、金を払わずに出て来て、思う存分食べよと言われます。イスラエルは今まで、食糧にもならないもののために金を払い、腹を満たさないもののために労してきました。その結果は、飢えと渇きでした。しかし、もう主に出ていくべきです。そのとき、良い物を食べ、脂肪で元気づくようになります。主のところに出ていき、主の御言葉に耳を傾けるとき、彼らの魂は生きるのです。主の前に出ていく時を逃してはなりません。捕虜生活で絶望している今が、その時なのです。絶望の時が、むしろ主に出会える絶好のチャンスです。主の招きだけが、渇いている私たちの唯一の希望です。今の時代、食糧に困らない人も多いでしょう。しかし、霊的に渇いている人は非常に多くいます。この世のどんなものをもってでも、私たちの魂の渇きは解決できません。ただ、主に出ていくときのみ、私たちの魂は渇かず、生きるのです。

主の招きを受けた私たちは、どんな姿勢を持つべきでしょうか。悪しき者はおのれの道を捨て、不法者は自分のはかりごとを捨て、主に帰るべきです。そのとき、主は豊かに赦してくださいます。主の考えと私たちの考えは違います。私たちの罪は、あまりにも重く酷いので、主に出ていっても裁かれるのでは、と思いやすいです。しかし、主はどんな罪人であっても、悔い改めて出て来るとき、赦してくださいます。



祈り:私には、主に捧げられるような善いものはありません。それでも私を、御前に出て来るように招いて下さることを感謝します。ただ渇きと飢えと咎を持って進み出ます。私を赦し、満たしてくださる事を感謝します。

一言:出て来るがよい


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