聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 11月 29日 (火)

イザヤ書 56:1-8(1)
公正を守り、正義を行え

56章以降の御言葉は、将来、イスラエルの民がバビロン捕囚から解放され、エルサレムに帰還するようになることを背景に書かれています。本章では、主の救いを経験して帰還した時、民たちがどのように生活すべきかについて記しています。

主は、公正を守り、正義を行えと言われました。これは、主が求めておられる正しい生き方を意味します。神の御言葉に聞き従って歩むときに出来る生き方です。イスラエルは、公正を捨てて、悪事を行うときが多くありました。金持ちは賄賂を渡して裁判の正義を曲げることもありました。弱い者たちの血と涙で地を濡らしました。民たちは御言葉を捨てて、世の風潮と価値観に流され、不義に陥っていました。このように悪事の多い世の中で、公正に生きるのは容易なことではありません。不利益を被るときもあるでしょう。しかし、もうそのような生き方を捨てなければなりません。なぜなら、もうすぐ主の御救いと公正が現われるからです。そのとき、公正を守り、正義を行う人は、ユダヤ人も異邦人も関係なく救われます。主が願っておられる生き方こそ、救いの道です。特に、教会は率先して公正を守り、正義を行うべきです。そのとき、主を知らない人々に良い影響を与えることができます。

主は、安息日を守ってこれを汚さず、主の喜ぶ事を選び、主の契約を堅く保つように命じられます。そのような人こそ、祝福を受けます。その祝福は、イスラエルだけではなく、異邦人にも同じく与えられます。主は彼らを、主の聖なる山に連れて行き、彼らに全焼のいけにえや、その他のいけにえを捧げる祝福を与えられます。主は、彼らに絶えることのない永遠の名を与えてくださいます。主の契約を堅く保つとき、イスラエルも異邦人も、同じく祝福されます。



祈り:主よ、私も不義の世と妥協していたことを認めます。そのような生き方をやめ、御言葉を聞き、聖霊の教えて下さることに敏感になりながら、主に喜ばれる公正な生き方ができるように助けて下さい。

一言:公正を守れ



2022年 11月 30日 (水)

イザヤ書 56:9-57:21(57:14)
道を整えよ

イスラエルの見張り人(10)、つまり霊的指導者たちは、みな目が見えず、知ることがない人のようです。彼らはイスラエルの政治的指導者でもあり、イスラエルの危機について警告し、悔い改めを促すべきでした。しかし、みな、自分勝手な道に向かい、ひとり残らず自分の利得に向かって行く貪欲な犬のようでした。彼らは義人が滅びても心に留めることはなく、誠実な人が取り去られても、心を向けませんでした。一方、イスラエルには偶像崇拝が蔓延していました。彼らは、身を焦がし、谷や、岩の裂け目で子どもをほふったりもしました。そんな彼らは、性的にも堕落しました。彼らは主を思い出さず、心にも留めず、恐れませんでした。このように生きる人たちは、外から見ると、この世で楽しそうに生きているように見えます。しかし、実は夜も眠れず、不安に苦しめられています。そのような悪しき者たちに向かって、主は、なんと言われたでしょうか。「盛り上げよ。土を盛り上げて、道を整えよ。わたしの民の道から、つまずきを取り除け。(14)」と言われます。草むらの道のような石ころだらけのでこぼこ道ではありません。盛り土を盛って、しっかりと舗装された高速道路のように平らで、障害物のない道を整えるように言われました。では、どうしたらこのような道を整えることができるのでしょうか。イエス様は、「わたしが道であり…わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことができません」と言われました(ヨハネ14:6)。私たちが、イエス様を受け入れるなら、イエス様が、私たちの聖なる道となってくださり(35:8)、父なる神様と交わる、へりくだった、砕かれた生き方に導いて下さいます。この道は、贖われた者たちだけが歩める道です(35:9)。その道は、他のどんな道よりも確かであり、真実であり、いのちに至る道です。イエス様の道を歩むなら、私たちの荒れた人生は整えられていきます。この世が与える人生とは比べものになりません。



祈り:イエス様なしには、荒れ狂う海のような人生を歩むしかありませんでした。私とともに住んでくださり、いのちに満ちた人生を与えてくださり、感謝します。

一言:イエス様が道です


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