聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 12月 07日 (水)

イザヤ書 66:1-24(19)
わたしの栄光を諸国の民に

イザヤ書の最後の章は、最初の章のように、忌み嫌うべき空しい礼拝に対する叱責となっています。イスラエルの民は、立派な聖所と心込めたささげもの、切なる祈りの香りが、まことの礼拝の条件だと思っていました。しかし、主はそのようなものは、実に彼らが自分勝手な道を選んだものに過ぎないと言われます。なぜなら、へりくだって心砕かれ、主のことばにおののくことのない礼拝は、人を打ち殺し、犬をくびり殺し、豚の血をささげ、偶像をほめたたえることと同じであるからです。彼らは、主が呼んでもだれも答えず、主が語りかけても聞かず、主の目の前に悪を行い、主の喜ばない事を選びました。主のことばにおののくという従順と義を行うまことの礼拝こそ、礼拝の本質です。

シオンの子らは、産みの苦しみが来る前に産む人のように、一瞬にして帰って来ることになります。これは主の約束です。シオンの住民たちは、乳飲み子が母の豊かな乳房から吸って喜ぶように、あふれる流れのように国々の富を得るようになります。主が平安と栄光を彼らに豊かに与えてくださいます。母に慰められる者のように、主に慰められます。

神様は最後の日に、火と剣ですべての肉なる者をさばかれます。神様はこの最後のさばきの前に、ご自分の民を諸国に遣わし、神様の栄光を告げ知らせます。19節をご覧ください。「…わたしのうわさを聞いたことも、わたしの栄光を見たこともない遠い島々に。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせる。」その結果、全ての国々から人々が神様のところに集まります。また、すべての肉なる者が神様の前に来て礼拝し、万物の回復が成し遂げられます。新しい天と新しい地がご自分の前にいつもあるように、神様は、イスラエルの子孫と彼らの名前がいつもあるようにされ、愛と平和でとこしえに治めてくださいます。



祈り:主よ!私が神様の御言葉におののく者となり、また神様の栄光を国々に知ら せる者となるようにしてください。

一言:すべての民が来て、主の栄光を見る


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