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2004年 12月 21日 (火)

イザヤ書9:1-7
ひとりのみどりご

Ⅰ.大きな光イエス様(1-5)
 イザヤの時代に、イスラエルは罪によってやみの中と死の陰の地に座って苦しみあえいでいました。また蔑しまれ、絶望していました。しかしイザヤは将来来るキリストの誕生を仰ぎ見て、望みの歌を歌いました。キリストが来られれば蔑しまれていたガリラヤが光栄を受け、やみの中と死の陰の地に住んで苦しんでいた彼らが大きな光を見るようになるのです。また重く担っていた人生のくびきとサタンの圧制から抜け出すようになるのです。人々はやみの中と死の陰の地に座って苦しみます。また人生の重荷と罪が与える圧制でうめきます。イエス様はこのような人々にとって大きな光になれます。イエス様の光が照らす時、すべてのやみとくびきと罪の力が退きます。イエス様の光が照らす時、望みといのちが臨みます。
Ⅱ.ひとりのみどりご、イエス様(6,7)
 イエス様は弱いひとりのみどりごとして来られます。しかしこのみどりごはその肩に、世を統治する主権がありましたが、その名前は「不思議」です。不思議とは私たち人間の理性を超越して、宇宙万物と世の歴史を主管される方という意味です。このみどりごは「助言者」です。助言者とは無限の知恵で人々を助ける相談者と言う意味です。イエス様は「力ある神様」であり、孤児のような私たち人間を繊細に顧みてくださる「永遠の父」です。イエス様は公平と正義と愛で治められる「平和の君」です。

祈り:主よ!やみと蔑視と死の力で苦しめられている罪人を救うために、ひとりのみどりごとして来られたことを感謝します。

一言:ひとりのみどりごがお生まれになった



2004年 12月 22日 (水)

イザヤ書11:1-9
新芽

Ⅰ.新芽が生え(1-5)
 イザヤはメシヤを通して、成し遂げられる新しい御業を仰ぎ見ました。神様はレバノンの山林のように威容を誇る世の国の指導者たちを切り払われました(10:33)。代わりにダビデの父エッサイの根株から新根を生えさせ、新しい御業を始められます。新芽は最初は小さく見えます。しかしその中にいのちがあるので、すぐに成長し若枝が出て実を結ぶ木に成長します。「新芽」はイエス・キリストを指します。イエス様は主の霊、知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊です。このイエス様が私たちの心に臨まれれば、すべての世俗的で古いものが新しくなるのです。
Ⅱ.害を加えず、そこなわない(6-9)
 罪によって楽園を失った世は、狼と子羊、ひょうと子やぎ、雌牛と熊が互いに敵となり、裂いて殺します。しかしメシヤが来られれば、ねたみと競争と弱肉強食がなくなり、平和が臨みます。獅子が牛のようにわらを食べ、乳飲み子はコブラの穴の上で戯れます。害を加えず、そこないません。水が海をおおうように、主を知る知識が全地に満たすようになります。過ぎ去りし日のすべての罪深い歴史が消え去り、楽園が回復します。このような新しい御業は将来イエス様が再臨されれば、完成されるのです。しかしイエス様がこの地に来られることで、すでにこの御業は始まりました。

祈り:主よ!この地にねたみと競争と戦争が続いています。イエス様が来られることで、愛と平和の御業が臨みますように。

一言:イエス様によって臨む新しい御業


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