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2013年 12月 19日 (木)

イザヤ9:1-7
ひとりのみどりご

1.大きな光であるイエス様(1-5)
 預言者イザヤの時代に、民たちは罪によって、よみの中に住み、死の陰の地に座って、あえいでいました。彼らはさげすまれ、絶望していました。しかし、イザヤは、将来来られるキリストの誕生を仰ぎ見て、望みを抱きました。キリストが来られると、はずかしめを受けていたガリラヤが栄光を受けるようになり、やみと死の陰で苦しんでいた者たちが、大きな光を見るようになります。この望みは、イエス・キリストが来られたことで、成し遂げられました。イエス様は、罪のくびきとサタンの支配から解放し、私たちを救ってくださいます。大きな光であるイエス様が臨まれる所には、やみと死の勢力が退き、望みといのちが臨みます。
2.ひとりのみどりご、イエス様(6,7)
 イエス様は弱い、みどりごの御姿で、私たちの所に来られました。しかし、その子が実は、世を救うキリストです。その肩には、世を統治する主権がありました。その名は不思議、すなわち、人間の理性をはるかに超越された方であり、天と地をお造りになった創造主です。この子どもは助言者(Counselor)です。すなわち、限りない知恵で、人々を助ける相談者です。また、幼子イエス様は全能なる神様であり、孤児のような私たちを顧みてくださる永遠の父です。それだけではなく、公平と正義と愛で、人々と世を統治される平和の王です。

祈り:主よ!罪と死の勢力の下で苦しんでいる私たちを救うために、みどりごとして来られたことを、感謝します。

一言:ひとりのみどりごがお生まれになった



2013年 12月 20日 (金)

イザヤ11:1-9
新芽

1.新芽が生え(1-5)
 神様は、ダビデの父エッサイの血統から新芽を生えさせ、新しい御業を始められました(1)。新芽は、最初は良く見えません。しかし、その中に生命があるので、すぐに育って若枝が出て、後には大きな木になり、多くの実を結びます。新芽はイエス・キリストを指します。イエス様は、弱い人の姿で、この地に来られました。しかし神様は、イエス様の上に、主の霊を注がれました。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊です(2)。今年、聖誕を迎える私たちの心に、イエス様の霊が臨まれ、キリストの新芽が生えることができるように祈ります。
2.海をおおう水のように(6-9)
 世の中は、妬みと争いと競争などの、弱肉強食の教えが支配しています。しかしキリストが臨む所には、この全てのものが消え去り、平和が臨むようになります。狼は子羊とともに宿り、雌牛と熊が共に草を食べ、乳飲み子はコブラの穴の上で戯れます。その時には、害を与える者も、そこなう者もいません。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからです(9)。このイザヤの預言は、イエス様が再臨される時、その通りに成就します。

祈り:主よ!私の心にイエス・キリストのいのちの若芽を生えさせ、知恵と悟りの霊が臨むように、助けてください。

一言:水が海をおおうように



2013年 12月 21日 (土)

イザヤ32:1-8
正義の王

1.正義によって治める王(1,2)
 イザヤが住んでいた時代に、王たちは不義であり、そのために、民たちは苦しんでいました。このような時代に、イザヤは将来一人の王が来られるビジョンを見ました。新しく来られる王は、イエス・キリストです。イエス・キリストの統治の特徴は、正義と公義です。イエス様は、不義の世の中で傷ついて生きて来た私たちを、神様の御旨に従って、正義と公義で治めてくださいます。また、王であるイエス様は、風とあらしを避ける隠れ場のようであり、砂漠にある水の流れ、かわききった地にある大きな岩の陰のような存在です。世の王たちから風とあらしのような虐待に苦しめられた者と、砂漠やかわききった世の中で疲れた者たちが、この王に進み出るなら、真の安息と平安を受けるようになります。
2.知恵を与える王(3-8)
 イエス様が来られる前は、私たちは目があっても見えず、耳があっても聞こえませんでした。しかし、王として来られたイエス様は人々に霊的な知恵を与え、神様に対する知識を悟らせます。また、視力と聴力を回復させ、私たちに神様を見せ、御言葉を聞くようにされます(ルカ4:18)。気短な者が、真理を知らない愚かさから抜け出し、本当の知識を悟るようになります。その時、私たちは分別力が生じ、しれ者が高貴な人と呼ばれることがありません。また、どもりの舌が解け、はっきりと力強く、神様の御言葉を伝えることができるようになります。

祈り:主よ!不義な世の中で苦しんでいる私たちに正義の王として来られたことを感謝します。私たちを、正義と公義で治めてください。

一言:正義の王、イエス・キリスト



2013年 12月 22日 (日)

イザヤ42:1-9
国々の光

1.わたしのささえるわたしのしもべ(1-4)
 神様が選ばれたしもべであり、神様の心に喜びとなる人は、イエス様です。神様はイエス様に御霊を注ぎ、国々に公義をもたらされます。イエス様は御霊の力を受けて、多くのことをしながらも、神様の御前で、静かで、声を上げず、柔和と謙遜で、しもべのように働かれました。イエス様は、罪によっていたんだ葦のように、何の役にも立たないたましいを折ることもされませんでした。くすぶる燈心のように臭いのする、望みのないたましいの心を砕かれませんでした。イエス様は、どんな罪人であっても望みを置かれ、どんなことをしてでも、助けようとされました。イエス様はどんなことをされても、衰えず、くじけませんでした。ついに、真理によって、地に公義を打ち立て、全ての人々の望みとなります。
2.国々の光(5-9)
 イエス様は国々の光です(6)。国々の光であるイエス様は、見えない者の目を開きます。囚人を牢獄から連れ出します。日の出のように、やみの中にいる者を、暗い所から連れ出します。人は罪によって霊的な目が見えず、鉄錠のような罪の鎖につながれています。罪のやみによって、落胆と運命と絶望に処せられています。イエス様は、彼らのために、救いの光として来られます。イエス様は、この全てのことを通して、主なる神様の御名と栄光を現れます。

祈り:主よ!国々の光として来られ、罪のやみから私を救ってくださり、感謝します。私も今は、国々の光として用いられたいです。

一言:国々の光



2013年 12月 23日 (月)

イザヤ53:1-12
苦しみの王

1.さげすまれ、のけ者にされたイエス様(1-3)
 イエス様は、天の栄光と権威を持った方です。しかし、イエス様はご自分を低くされました。イエス様は、全ての栄光と威厳を捨て、この地の来られた時には、植民地の民の中で、貧しい大工の子としてお生まれになりました。イエス様は、砂漠の地から出る根のように、見とれるような姿もなく、見栄えもしませんでした。また、生涯の中で、頭に枕する所もなく生きて、罪人たちに、御言葉と愛で仕えました。しかし、人々はこのようなイエス様を嫌い、さげすみました。尊ばず、「役に立たないから」と言って、捨てました。徹底的に人々から疎外されたイエス様は、私たちが受ける苦しみと悲しみを知っておられる方です。
2.私たちの罪と咎を背負われたイエス様(4-12)
 さげすまれ、捨てられたイエス様は、ついに十字架につけられ、殺されました。イエス様が、このような苦しみをお受けになったのは、私たちの罪のためでした。「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」(5,6)。私たちの代わりに、咎と重荷を背負われたイエス様によって、今私たちはいやされ、新しく生きることができます。

祈り:主よ!主の贖いの恵みに感謝します。今度の聖誕に、このイエス様の恵みが新たに臨むように、助けてください。

一言:私たちはいやされた


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