聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2018]

2018年 06月 03日 (日)

エレミヤ書 16:1-21 (13)
わたしはあなたがたに、いつくしみを施さない

 民たちはエレミヤに尋ねます。「なぜ、【主】は私たちに、この大きなわざわいを語られたのか。私たちの咎とは何か。私たちの罪とは何か」。彼らは自分たちの罪悪を悟っていませんでした。罪悪を悟っていないことは罪そのものよりももっと深刻なことです。罪を悟るとき、悔い改めの望みがあります。主は民たちに、「あなたがたの先祖以上に悪事を(12)」働いていると指摘されました。先祖たちがほかの神々に従い、これに仕え、これを拝み、主を捨てて、主の律法を守らなかった罪は、どれほど深刻な罪だったでしょうか。ところが、民たちはそんな先祖以上に悪事を働いているのにも関わらず、罪を悟っていませんでした。主は彼らを裁かれます。この国から投げ出して、彼らを先祖も知らなかった国へ行かせます。主はもうこれ以上彼らにいつくしみを施しません。人には主のいつくしみが絶対的に必要です。生きていること自体が主のいつくしみなのです。主がいつくしみを施さなければ、霊的な悟りも、悔い改めも、回復もありません。それは悲劇です。主は最後までかたくなな心のままに歩み、主に聞き従わない者にいつくしみを施しません。しかし、悔い改めて、謙遜に主の哀れみを求める者には、いつくしみを施してくださいます。

適用:主のいつくしみが必要ですか

一言:悔い改めと謙遜


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