聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2018]

2018年 06月 11日 (月)

エレミヤ書 23:9-40 (32)
主の御告げ

 民と預言者、祭司長たちは、「主の宣告とは何か(33)」と言うようになります。この「宣告」は、ヘブル語では「重荷」とも「宣告」とも訳すことの出来る「マッサー」という言葉です。つまり、イスラエルは主の御言葉が重荷だと言うということです。これは主の御言葉を拒み、曲げてしまうことです(36)。彼らは聞き入れる姿勢をもって、「主の宣告が何か、主は何を語られたのか」を聞くべきでした。主は御言葉を受け入れようとする謙遜な心を喜ばれます。主の御言葉を忘れてしまった彼らは、主から忘れられてしまいます。主の御言葉を曲げてしまったエルサレムは、捨てられ、永遠のそしり、永遠の侮辱が与えられます。私たちはいつでも主の御言葉を聞き入れ、その御前でひざまずく者とならなければなりません。主の叱咤も、裁きの御言葉も、聞き入れるとき、その御言葉は結局のところ、救いと希望の御言葉となります。

適用:誰の言葉を聞いていますか

一言:主の御言葉


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