聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2023]

2023年 10月 17日 (火)

エレミヤ書2:1-19(13)
二つの悪を行った

主の言葉がエレミヤに臨みました。彼がエルサレムの人々の耳に叫ぶべきことは何ですか。神様は、彼らの若かったころの誠実と新婚時代の愛を覚えておられます。彼らは荒野で主に従った忠実な人たちでした。イスラエルは、主の聖なるもの、初穂のような大切な存在でした。しかし、彼らの先祖は主から離れて、むなしいものに従って行きました。エジプトの地から彼らを導き、砂漠や荒野での生活を守って下さった主はどこにおられるのかと求めませんでした。主が彼らを実り豊かな地に導いて良い実を食べさせたのに、主の祝福の地を汚し、主の御業を忌み嫌うべきものにしました。祭司たちも主に尋ねず、律法を扱う者たちも主を知らず、指導者も、主に反逆し、預言者たちもバアルの名によって預言しました。救いの恵みと祝福を不義理で返した彼らに対する報いは、どうですか。

なぜ、あなたがたはわたしと争うのか、と神様は言われます。これまでに、自国の神々を神々でないものに取り替えたことのある国民などありません。ところが、イスラエルは主の栄光を無益なものに取り替えました。栄光の主を甚だしく冒涜しました。彼らは2つの悪を行いました。いのちの水の泉である主を捨て、自ら壊れた水ためを掘ったのです。偶像は壊れた水ためと同じです。このことにより、イスラエルは奴隷のように捕虜として捕らえられていきます。超大国の侵攻で、その土地は荒れ果て町々は焼かれて住民はいなくなります。これは、神様が彼らを正しい道に導こうとされたにもかかわらず、彼らの方でいのちの水の泉であられる主から離れることを選んだための結果です。今、のどが渇いてナイル川とユーフラテス川の水を飲もうとしますが、エジプトとアッシリアは、彼らの助けにはなりません。結局、彼らの悪が彼らを懲らしめ、彼らの反逆が彼らを責め立てます。彼らは、主を捨てて神様を恐れないことが、どれほど大きな悪であり、苦しみであるかを知るようになるでしょう。



祈り:主よ、私はいのちの水の泉である主を捨て、世の汚水を飲もうと無駄な努力をしました。渇いた私のたましいを、あなたのいのちの水で満たしてください。

一言:主を捨てること、偶像を持つこと



2023年 10月 18日 (水)

エレミヤ書2:20-3:5(3:2)
淫行と悪行によって汚した

イスラエルの不従順と偶像崇拝は、昔からの罪です。神様は彼らを純種の良いぶどうとして植えましたが、彼らは質の悪い雑種のぶどうに変わってしまいました。灰汁と重曹で洗っても、彼らの罪は消えないでしょう。彼らは、自分たちは汚れていない、バアルには従わなかったと言いますが、乱れた偶像崇拝をずっとしてきました。偶像に対する偽りの愛に目が眩んで暴れる彼らを止めることはできませんでした。彼らは木に向かっては「あなたは私の父」と、石に向かっては「あなたはわたしを生んだ」と言いました。普段は神様に背を向け、顔を向けないのに、患難の時だけ神様に救いを求めました。それゆえ、神様は、あなたの造ったあなたの神々が立って救えばよい、と言われたのです。彼らは神様に反抗して懲らしめを受け入れず、預言者たちを殺します。神様を荒野や暗黒の地として思い、もう神様には戻らないと言います。神様の愛を忘れて偶像の愛を渇望します。罪のない貧しい人たちを血で汚します。神様を無視して、人の力に頼ります。その一方で、罪のない自分たちから御怒りは去ったと言います。悪に満ちた彼らが、自分たちには罪がないと言い張っても、神様の裁きを避けることはできません。

 夫と離婚した女性が他の男のものになって、再び元の夫に戻ってくることは受け入れられるはずがありません。それでも、ユダは多くの愛人と淫行を行ってからも、神様のもとに戻ると言っています。ユダの山々は、偶像崇拝、淫行を行っていないところがなく、彼らは淫乱と悪行によって土地を汚し、自然災害に苦しむようになります。それなのに、彼らは恥じようともしません。彼らの祈りは、「父よ、あなたは私の若いころの恋人です。いつまでも恨みを抱かれるのですか。永久に持ち続けるのですか」です。一見敬虔そうに見えますが、彼らの行為は自分の悪い欲を満たすだけです。悪行を止めない者の祈りは無益です。



祈り:主よ、私たちの偶像崇拝と不忠実をお赦しください。 言葉だけではなく、私たちの人生をもっても悔い改めを示せますように。

一言:恵みの雨が止まる


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