聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2023]

2023年 10月 29日 (日)

エレミヤ書13:1-27(11)
わたしの民となり、名声となる

亜麻布の帯の比喩は、ユダに対する神様の審判のメッセージです。神様は、亜麻布の帯を買い、腰に締めるようにエレミヤに命じられました。次に、アナトテから560Km離れたユーフラテス川に行き、岩の割れ目にその帯を隠せと仰せられました。多くの日を経てから、その帯を取り出すように言われたので、行って帯を取り出しましたが、帯は腐ってしまいました。この比喩は、神様がユダの高慢とエルサレムの大きな誇りを腐らせるという主の御言葉を表すものです。彼らは高ぶり、主の言葉を聞こうとせず、自分たちのかたくなな心のままに歩み、他の神々に従って仕え拝みました。イスラエルは、神様の腰の帯として主の名声となり、栄誉となり、栄えとなるべき存在でした。しかし、高慢のため御言葉を聞かず腐ってぼろぼろになってしまったのです。主はさばきの前に言われます。「あなたがたは聞きなさい。耳を傾けなさい。高慢になるな。」神様の審判を免れるためには、高ぶった心を捨て、神様の御言葉に耳を傾ける謙遜な姿勢を持たなければなりません。そうでない場合は光と救いが暗闇とさばきに変わり、約束の地で追い出され、他の国々の捕虜とされてしまいます。

神様はイスラエルの民に、「酒壺に酒が満たされる。」と仰せられました。イスラエルの民たちは、壺が酒でいっぱいになるのは当然のことではないかと考えました。神様は、高ぶる彼らをみな酒に酔わせます。王たち、祭司たちや預言者たち及びエルサレムの全住民をすっかり酔わせました。そして互いにぶつけ合わせて砕き、滅ぼしてしまうと預言しました。これは、ユダ共同体の分裂を意味します。神様のさばきは身分の上下を問わず、徹底的に下されます。神様は高慢なユダを、バビロンを通して徹底的にさばかれます。あなたの裾を、顔の上までまくるので、恥ずべき所が現れると言われました。高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立ちます。(箴16:18)



祈り:主よ、あなたは私が主の民となり、名声となり、栄誉となり、栄えとなるために私を創造してくださったことを覚えます。主の民としての謙虚で従順な心を与えてください。

一言:わたしは主の民、主の名声


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