聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2023]

2023年 10月 30日 (月)

エレミヤ書14:1-22(10)
さまようことを愛し、その足を制することもしない

 イスラエルは激しい日照りになります。日照りはイスラエルの不従順による主の裁きです(申28:24)。その日照りは非常に厳しいものです。「高貴な人は、召使いに水を汲みに行かせるが、彼らが水ためのところに来ても、水は見つからず、空の器のままで帰る(3)」ことになります。地面が割れ、農夫たちも畑の仕事ができません。その日照りの苦しみは動物にも例外ではありません。野の雌鹿さえ、子を産んでも捨てるほどです。主から裁きの警告を聞いたエレミヤは、イスラエルが罪を悔い改めるように、そして主の救いがあるように、切に望んでいます。私たちを置き去りにしないでくださいと訴えています。

しかし、主は何と言われましたか。主は、イスラエルの民がさまようことを愛して、その足を制することもしないと言われました。主の警告を受けたなら、罪の足を制するべきでした。ところが、彼らはそのようにしませんでした。彼らは罪の道を歩き続けました。主は、彼らの咎を覚えて、その罪を罰せられます。さらに、エレミヤにこの民のために幸いを祈ってはならないと仰せられました。彼らが断食しても、彼らの叫びを聞かず、全焼のいけにえや、穀物のささげ物をささげても、主はそれを受け入れないと仰せられました。かえって、剣とききんと疫病で、彼らをことごとく絶ち滅ぼすと仰せられました。こんな民たちにますます悪い影響を与えたのが、偽預言者たちでした。彼らは平安を与えると言いながら、民たちを誘惑しました。その偽預言者たちもまた剣とききんによって、滅びうせるのです。罪の足を制しないとどうなるでしょうか。主からの裁きと滅びがあるのみです。罪の足は、しばらくは楽しいかもしれません。しかし、必ず滅びます。主は滅亡から離れるように、罪の足を制するように、私たちに警告しておられます。そのとき、私たちは罪の足をすぐに制し、主に立ち返らなければなりません。それだけが、救いの道なのです。



祈り:主よ、自分自身は何も悔い改めないで、ただ状況から救われることだけを願って祈る自分がいることを認めます。謙虚さと悔い改めの心をもって祈り、変われるように助けてください。

一言:罪の足を制すること


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