聖書別日ごとの糧   >>   エゼキエル書[2007]

2007年 01月 12日 (金)

エゼキエル18:1-24
責任と悔い改め

Ⅰ.罪を犯した者は、その者が死ぬ(1-20)
 イスラエルには「父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。」ということわざがありました。先祖の罪のために子孫が苦難を受けるという意味です。当時民たちは今の辛い状況が先祖たちの罪のためだといい、先祖のせいにだけしました。しかし神様は彼らに向かってはっきりと言われます。「すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。」(4)
 神様の前では、父も子もみな人格を持った存在であり、自分の罪に対して、それぞれの責任を問われます。子どもが父に従って善を行なわずに罪を犯せば、その罪によって死ぬようになります。子どもが父の行なった罪を見て恐れ、御言葉に従って生きるなら、自分の義によって生きるようになります。悪者でも罪を悟り、犯した罪から離れ、神様の御言葉に従って生きるならば、生きて死ぬことがありません。しかし正しい者でも義から離れ、罪を犯し悪者の行く道を行くなら、生きることができず、死にます。神様は過去よりも今をどのように生きているのかを重要視します。
Ⅱ.生きることを喜ばないだろうか(21-24)
 神様は悪者が死ぬことを少しも喜ばれません。悪者が立ち返り、その道から離れ生きることを喜ばないでしょうか。
 それで罪人がすべきことは、立ち返って悔い改め、すべての罪から離れることです。

祈り:主よ!私の中でも、いつも先祖のせいにする心がありました。今私の罪を悟り、主に出て行きますから、私を赦してください。

一言:自分の罪を悟り立ち返れ


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