聖書別日ごとの糧   >>   エゼキエル書[2019]

2019年 02月 14日 (木)

エゼキエル書33:1-20(20)
態度にしたがってさばく

 今日の御言葉は見張り人の責任に対する御言葉です。神様はエゼキエルをイスラエルの見張り人としました。見張り人の使命は、敵軍が侵入してきたときに角笛を吹き鳴らし、民に警告することです。見張り人が、自分の仕事に不誠実だった時には、その責任が問われます。敵軍が来るのを見て角笛を吹き鳴らし、民に警告を与えるなら、自分のいのちを救うことができます。しかし、角笛を吹き鳴らさず、民に警告をしないなら、彼はその責任を問われます。主はエゼキエルをイスラエルの見張り人とし、主の口からのことばを聞いて、主に代わって彼らに警告を与える使命を授けました。もし、エゼキエルが悪者に、その道から離れるように語って警告しないなら、その悪者は自分自身の咎のために死にはしますが、主は彼の血の責任をエゼキエルに問います。このように見張り人の使命は重要であり、責任が大きいのです。
 イスラエルの民は、「私たちのそむきと罪は私たちの上にのしかかり、そのため、私たちは朽ち果てた。私たちはどうして生きられよう(10)」と言いました。しかし、主は決して悪者の死を喜びません。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜びます。「正しい人の正しさも、彼がそむきの罪を犯したら、それは彼を救うことができ」ません。「悪者の悪も、彼がその悪から立ち返るとき、その悪は彼を倒すことはでき」ません(12)。主が正しい人に、「あなたは必ず生きる」と言っても、もし彼が自分の正しさに拠り頼み、不正をするなら、彼の正しい行いは何一つ覚えられず、彼は自分の行った不正によって死ななければなりません。主が悪者に、「あなたは必ず死ぬ」と言っても、もし彼が自分の罪を悔い改め、公義と正義とを行うなら、彼は生きるのです。「質物を返し、かすめた物を償い、不正をせず、いのちのおきてに従って歩むなら、彼は必ず生き、死ぬことはない」のです。それぞれの態度に従ってさばく神様は公正であられます。


適用:見張り人として、私たちは悪者に何をすればいいでしょうか

一言:警告の角笛を吹き鳴らす



2019年 02月 15日 (金)

エゼキエル書33:21-33(29)
わたしが主であることを知ろう

 エゼキエルたちが捕囚となって十二年目の第十の月の五日、エルサレムからのがれた者が、彼のもとに来て、「町は占領された」と言いました。バビロンの王ネブカデレザルによって主の宮と王宮とエルサレムのすべての家は焼かれ、城壁は全部取り壊されました(エレミヤ52:12-14)。その時、エゼキエルは絶望することなく、主のことばを伝えました。イスラエルの廃墟となった地に住む者たちは、「アブラハムはひとりでこの地を所有していた。私たちは多いのに、この地を所有するように与えられている」と言っていましたが、主は、そんな彼らに、「血がついたままで食べ、偶像崇拝をし、血を流し、自分の剣に拠り頼み、忌み嫌うべきことをし、隣人の妻を汚していながら、この地を所有しようとするのか。」と言われました。主は、その廃墟にいる者たちは必ず剣と獣と疫病で死ぬと言われました。その地を荒れ果てさせ、荒廃した地とすると言われました。その時、彼らは神様が主であられることを知るようになります。人は、徹底的にさばかれるまでは、罪の深刻さと神様を理解しない愚かな存在です。
 イスラエルの民は主のことばを聞いても、それを実行しようとはしませんでした。彼らは、口では恋をする者でしたが、心は利得を追っていました。エゼキエルが神様の御言葉を伝えると、音楽に合わせて美しく歌われる恋歌のように、それを聞きました。でも、御言葉を実行に移すことはしませんでした。御言葉からかけ離れた実生活をしていました。しかし、御言葉が実現した時、彼らは、自分たちの間にひとりの預言者がいたことを知るようになります。神様のさばきを受けてから悟る人は愚かな人です。私たちは主の御言葉を聞く時、すぐに受け入れ、悔い改めなければなりません。


適用:いつ悔い改めなければなりませんか

一言:すぐに


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