聖書別日ごとの糧   >>   エゼキエル書[2019]

2019年 02月 23日 (土)

エゼキエル書 43:1‐27(5)
主の栄光が神殿に満ちていた

 新しい神殿の姿を見せた後、御使いはエゼキエルを東向きの門に連れて行きました。東の門は10:19で、主の栄光がおおっていた門です。イスラエルの罪悪のため、主の栄光は神殿から去ってしまいましたが、東の門にはとどまっていました。エゼキエルが見ると、主の栄光がこの東向きの門を通って宮にはいり、神殿が主の栄光で満ちていました。神殿は、神様の住まわれるところです。エゼキエルに御言葉が与えられました。「人の子よ。ここはわたしの玉座のある所、わたしの足の踏む所(神様がそこに留まるという意味)、わたしが永遠にイスラエルの子らの中に住む所である。」感動的な御言葉です。神殿に臨まれる神様は、淫行や罪悪を取り除かなければならない、と言われました。罪悪を恥と思うようにと言われました。神殿の律法を守り、聖であるようにと言われました。過去、神様が神殿を破壊しイスラエルを滅亡させた理由は、偶像崇拝、淫行、あらゆる貪りの罪悪のためでした。神様は、もうそれらの罪は取り除くように、と言われます。そうすれば永遠に私たちの中に住まわれると約束されます(9)。今、聖なる御霊が私たちの中に内住しておられます。私たちは相変わらず罪を犯していますが、聖霊が再び私たちの中に来られ、新しい生活を期待しながらともに住んでいて下さいます。神様とともに栄光の中で永遠に生きるためには罪悪を恥と思い、取り除かなければなりません。聖なる神様の御心に従って生きなければなりません。
 神殿に関する律法の中で、祭壇について最初に言われました。祭壇の寸法を定めてくださり、祭壇を3階に作り、生け贄を捧げてきよめるように言われました。また、感謝の生け贄を捧げるようにされました。そうするならば、神様はあなたがたを受け入れると約束してくださいました。聖徒達の特権は、たとえ罪悪を犯したとしても、神様の御前に出てゆきイエス様の血潮に頼って悔い改めることができるということです。悔い改めると神様は私たちをきよめてくださり、受け入れてくださり、そして聖霊で満たしてくださいます。


適用:主の栄光が満ちることを願いますか

一言:自分の罪悪を恥と思い、取り除きなさい


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