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2019年 02月 25日 (月)

エゼキエル書 45:1‐27(17)
君主の本分

 エゼキエルは、捕虜生活で苦しめられているイスラエルの民たちに対し、将来暮らす地について、回復のメッセージを伝えています。地をくじで分ける時、最初にすべきことは、その地の聖なる区域を奉納地として主に捧げ、その中に至聖所を置くことであると言われました。そして、その聖なる奉納地を、聖所で神様に仕える祭司たちと、レビ人達の地とに区分します。その次に、その聖なる奉納地に沿って町の所有地(イスラエルの全家のもの)を配分します。聖なる奉納地と町の所有地の両側は、君主の地として配分します。ですから、聖所を基準にして、君主と民たちに相続地が配分されます。君主に地を配分する目的は、君主たちが二度と民たちを虐げないようにするためです(8)。神様が下さった領域を超えてもっと所有したがる欲は、人間の基本的な生を破壊する犯罪行為です。「君主たちよ。もうたくさんだ。暴虐と暴行を取り除き、公義と正義を行え。わたしの民を重税で追い立てることをやめよ。-神である主の御告げー」(9)。欲を捨てて正義を行うよう告げています。それが出来るよう、正しいはかりを使うようにされました。
 神様は、17節で君主の本分について言われます。君主は、民から奉納物を受け取り、民の代表として、あらゆる例祭に、全焼の生け贄、穀物の生け贄、注ぎの葡萄酒を備える義務があります。これは、神様の民が神様によく仕えるように、君主が用意をさせて仕えるべきであることを言ってくれます。また神様は、第一の月の第一日とその月の七日、そして出エジプトを記念する過ぎ越しの祭りと、第七の月の十五日を聖なる日として守るように言われました。私たちは神様の民であると同時に、王である祭司です。ですから、私たちの人生の真っただ中に聖所である神様が座しておられるべきであり、私達のすべてが主によく仕えるためのものとならなければなりません。私達の体を、神様が喜ばれる義の供え物として捧げなければなりません。


適用: 私達の本分は何ですか

一言: 贖われるためのお手伝い


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