聖書別日ごとの糧   >>   ホセア書[2019]

2019年 06月 15日 (土)

ホセア書3:1-5(1)
姦通している女を愛せよ

 いくら愛する人だとしても、姦通している女を愛することは難しいことです。しかし、神様はホセアに、姦通したゴメルを再び愛せよと言われました。これは神様の愛がどんな裏切りや汚れも超える、まことの愛だからです。このような神様の愛を私たちがすべて理解することは、できません。神様の愛は計り知れない愛です。愛されていながら裏切る者、敵対する者、汚れた者を、最後まで愛するまことの愛です。神様はこの愛をホセアに教えておられます。ホセアは神様から言われたとおりに、お金を払って彼女を買い取りました。そして、彼はゴメルに、「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫したり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう」と言いました。彼が支払った身代金は、奴隷の身代金に当たります。ゴメルは奴隷の状態になっていたようです。罪の奴隷になると、人間の価値は地に落ちます。しかし、私たちが罪の奴隷になったとしても、神様は変わらず愛してくださいます。イエス様はご自分の血の代価を払って私たちを買い取ってくださいました。
 イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごしました。これは捕囚期を意味します。そのような時には自分を顧みて悔い改める時です。罪を悔い改める時は、忍耐と試練の時です。その後、回復の時が来ます。イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求めるようになります。おののきながら主とその恵みが来る時がきます。姦通した者に対し、このような望みが伝えられることは、すばらしい恵みです。神様の愛と望みは、私たちの考えを越えたすばらしいものです。このような神様の愛と恵みを慕い求める主の民となるように祈ります。


適用:罪人も望みを持つことができるでしょうか

一言:神様の愛によって


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