2019年 06月 21日 (金)
姦淫の報酬を愛したからだ
今日の御言葉は、イスラエル人が収穫感謝祭の時に、麦打ち場であったことを記録しています。彼らは豊かな収穫を喜びました。しかし、神様は「イスラエルよ。国々の民のように喜び楽しむな」と言われます。なぜなら、彼らが得た収穫は、神様にそむいてバアルを崇拝して受けた、姦淫の報酬だからです。当時のイスラエル人は、救いは主にあるが、収穫の実はバアルとアシュタロテが与えてくれる、という混合主義信仰を持っていました。彼らは純粋な信仰を捨て、現実の利益だけを求めて偶像崇拝をしたのです。このように姦淫の報酬で得た収穫を主は喜ばれるのでしょうか。彼らが偶像崇拝をして得た穀物やぶどう酒は、彼らを養いません(2)。彼らは主の地にとどまらず、エジプトに帰り、アッシリヤで汚れた物を食べます(3)。彼らは主に礼拝を捧げることもできません(4)。例祭の日、主の祭りの日に彼らには何が来ますか(5)。彼らには刑罰の日、報復の日が来ます。
イスラエルはなぜこのようになってしまったのでしょうか。それは、預言者は愚かな者であり、霊の人は狂った者だと思ったからです。イスラエルは、本来、真理の見張り人であるべきだったのですが、偽預言者の影響によってギブア時代のように、心底まで堕落してしまいました。主は彼らの不義を覚え、その罪を罰します。私たちは、困難があっても主に頼り、祈らなければなりません。イスラエルは現実の有益を求めてバアル崇拝をして汚れた者となりました。私たちは、物質主義の時代の中でも、福音信仰、十字架による救い、主にのみ仕える信仰を持たなければなりません。それこそが生きる道です。
適用:淫行の報酬を愛しますか
一言:国々の民のように喜び楽しむな
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